溺れる

連日の酷暑です。
それに伴い、毎日のように水死事故が報じられています。
痛ましい記事に接するたび、浅野川の現場を通るたび、
あの日のことを思いだします。



七年前の今日、七月とはいえまだ肌寒い日のこと、
雨上がりの川は濁流、増水していました。
いつものように河川敷の道を歩いていましたら、
「たすけて〜」
の声が上流から聞こえてきます。


声のする方を見ると、
川の中央あたりで赤い服の子供がなにやら杭につかまって、
スイミングに親しんでいる私には安全に助けられる状況…


「助けてあげるからね〜」といいながら、
ぬるぬるとすべる石に足を取られないよう、
流れの中を慎重に進みました。
冷たい水は私の胸まであり、
子供の手がいつ杭を離すかわかりません。
でも「三年生くらいなら、まだ大丈夫だろう」とあわてませんでした。


胸に抱きかかえて岸に戻ったら、
間もなく救急車や消防車がサイレンを鳴らして何台も集まってきました。
誰かが通報したのでしょう。


川に落ちて流された時、腕にひっかかるものがあり、
子供が偶然つかんだのは、
友禅流し (加賀友禅の糊を流す作業) に使う杭だったのです。
後でわかったのですが、
3年生ほどと思っていたその子は5歳の男の子でしたから、
時間との戦いだったわけです。
 

あの時、あの場所を通ったのが、どうして泳げる私だったのでしょう。
通ったのが5分前でも、5分後でも助からなかったかもしれません。
どうしてあの時だったのでしょう。
いくら考えても不思議でなりませんでした。



 いつもは穏やかな浅野川の現場


数え切れない、たくさんのご縁の積み重ねがあって、
たまたまそこを私が通ったのでした。


郁代が身体の異常を訴えたのは、その年の暮れに帰国した時でした。


助かった子供の命も、救われなかった郁代の命も、
賜った命でした。