命をいただく



小型捕鯨やイルカ漁が行われている和歌山県太地町
夫が鯨に興味があると言い、一緒に尋ねたことがあります。


水産庁調査員として太地に滞在、
体験的捕鯨論『イルカを食べちゃダメですか?』の著者関口雄祐さんが、
映画「ザ・コーブ」の功罪について、新聞に書かれていました。


・・・・・
(前略)


「ザ・コーブ」の功があるとすれば、イルカ追い込み漁の認知度が上がり、
日本にまだ多様な地域文化が残っていることを示してくれたこと。
罪、それも意図的な罪は、無駄になっていない命を、
あたかも無駄に殺しているような印象を与えていることだ。
イルカ漁におけるイルカの死は無駄ではない。
生活の糧であり、時にごちそうであり、贈答品でもあって、
ありがたくいただく。
感謝の心は、鯨の墓の存在、毎年の供養祭として昇華される。
命を無駄にしない努力。これは当然だ。


宮崎県の口蹄疫で、多くの家畜が殺処分された。
食肉処理でも殺すことに変わりはないが、
殺処分で心が重くなるのはこの命が「活かされなかった」からだ。


食べることは他の命をいただくこと。
大きなクジラを食べることも、菜食主義も、
細胞を食べる意味で違いはない。
食べ物が環境や文化によって異なってくるのは自然なことで、
それをとやかく言う権利は誰にもないはずだ。


私たちは命をいただいて生きている。
それに気づくきっかけになるのであれば、
それもこの映画の功としていいのかもしれない。


もし旅先で見知らぬ食べ物をすすめられたら、
いただけることに感謝して食べる。
これはその土地の人とうまくやっていくための技である。
私にとっては、ヨメとうまくやっていくための技、でもある。
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私たちは命をいただいて生きている。
だから、命を無駄にしない努力が大切である。
いただけることに感謝して食べる。


関口雄祐さんの言葉に共感を覚えました。


子供のころ住んでいた海辺に、
あるときイルカの大群が押し寄せ、海へ帰れなくなりました。
村中で捕獲、市場へ出したり、
捌いて各家庭へ配ったりしたのを思い出しました。