みすずの心

みすずのふるさと、仙崎の町へ行った時の青木新門さんの文章が、
『みすずの心』と題して北国新聞に載っていました。


『仙崎の漁師たちは、捕えた鯨のすべてに戒名をつけて法要を行っていた。
対岸の島には鯨を篤く葬った鯨墓もあるという。
(中略)
金子みすずにも仙崎の漁師にも仏教思想が流れている。
生きとし生けるもの全て〈いのち〉と説くのが仏教である。
しかし人間もまた他の生き物の命を食べて生きていくしかない。
だからこそ「いただきます」と合掌して頂いてきたのであった。
その心を忘れてシー・シェパードの行き過ぎた行為を非難しても、
五十歩百歩と言われかねないだろう』


みすずの作品も紹介されていました。


    鯨法会(くじらほうえ)

    
    鯨法会は春の暮    
    海に飛魚採れるころ
    浜のお寺の鳴る鐘が
    ゆれて水面(みなも)をわたるとき
    浜のお寺へいそぐとき
    沖で鯨の子がひとり
    その鳴る鐘をききながら
    死んだ父さま、母さまを
    こひし、こひしと泣いています
    海のおもてを、鐘の音は
    海のどこまで、ひびくやら        
        
    

    お魚

    
    海の魚はかわいそう。
    お米は人につくられる、
    牛は牧場でかわれてる、
    鯉もお池で麩(フ)を貰う。
    けれども海のお魚は
    なんにも世話にならないし 
    いたずら一つしないのに 
    こうして私に食べられる。
    ほんとに魚はかわいそう。