春の風 2 

宮ぷー心の架橋プロジェクト 、かっこちゃんのメルマガには、
読者からの感動的な実話がどんどん公開されています。
「苦しいのは、置かれた状況や、病状そのものだけが原因ではないらしい」
などが書かれていて、
「悩んでいるのは私だけではなかった」
との連鎖が共感を呼んでいるようですね。
私もいつも励まされています。
読者からの感想を「春の風」シリーズで、
時々載せさせて頂こうと思っています。


メルマガ 11005(1月5日) より抜粋


あるお嬢さんのお母さんからメールをいただきました。
お嬢さんが、夏のある日、
お母さんにメルマガの日記を印刷して見せられたのだそうです。
その日記は下のような日記でした。
夏のモンゴルへの旅のあと書いた日記です。
・・・・・・
私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。
毎日メールをくださる方に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。
これまでも、何度もそう思いながら言いだすことができなかったけれど、
旅が終わったらお話ししてみよう。
自分の思いを伝えてみようと思っていました。


 その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、
今はベッドに寝たきりになっておられるのだそうです。
どうしても、事故を起こされた方を許すことができなくて、
もし、事故に遭っていなかったら、
今、お嬢さんは、就職もし、結婚もしていただろうと思うと、
相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられました。
そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝る
ことというのを、条件の一つにされたのだそうです。
旅から帰ってパソコンをあけると、その中に、その方からのメールがありました。

「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが条件だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと加害者から電話がありました。
そのようなことは許されることじゃないということが、
加害者にはわからないのです。
どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、
加害者にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。せめて月に一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立たしく、申し出は断りました。
私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・幸せになる方法があったら、
教えてほしい。私はいつもそう思っています。・・・」


いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言っているようなそんなメールでした。
「私は幸せになる方法、わかります。知っています。
相手の方に“もうあなたは充分つぐなってくださったから、
もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。
あなたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、
そのことのように思えてならないんです。
私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。
お嬢さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、私、充分わかっているつもりです。
けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、幸せには決してなれないだって、知っています。知っているつもりなんです。
メールをいただいているうちに、どんどん大切になったから、
私、旅の間中、帰ったらそのことをお話ししたいと、
書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。
今日一日、
「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?
と何度も考えました。
けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。
私うれしくてうれしくて泣きました。
・・・


・・・かっこちゃんからのメール。
いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。
何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。
それなのに、私自身、メールを閉じて、娘とテレビを見て、
テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみよう
とそんな気持ちになりました。


そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、口走っていたのです。「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、幸せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」と言いました。おまけに私は
「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょう。長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」と言いました。
いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、自分でも驚いています。電話の向こうから嗚咽が聞こえました。
私も言葉が続かなくなって、受話器を置きました。
置いたとたんでした。不思議なことに、かっこちゃん、受話器を置いたと
たん何が起きたと思いますか? 
今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつまれて、
胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。


「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。ママ、よかったんだよ」と言いました。
娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っていました。
でも、私は許せなかった。
娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言いました。
かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか?
見えていたのですか?
テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、何か導かれるようにかけてしまった電話ですが、
もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけているかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。
これから、今日のことを後悔することがあるでしょうか?
まだ実はわかりませんが、私が口から出た「今までごめんなさいね」の言葉はかっこちゃんの言葉でなくて、私の心から出た言葉であるならば、
私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょうね。・・・・・・・


私も一緒に泣きました。そうですよね。
恨んでいては決して幸せになれない。
自分がつらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。私はお二人が本当にすごいなあと思います。
「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、本当に尊敬します。
今日はそんなうれしいことがありました。


・・・・・・
それが夏のある日の日記でした。
その日の日記のことについてメールをいただいたのです。



・・・・・
去年の夏ごろだったと思います。
過失の事故のために、娘さんが障害者になり、お母さんが、相手を許せなかったのに許したという日記の印刷をしたものを、
娘が私のところに手紙と一緒に送ってきました。
「そろそろお父さんを許してあげてください。
お母さん、恨んでいる間は幸せになれないと私も思います。
ずっとそのことをお母さんに伝えたかった。
けれど、毎日読んでいるかっこちゃんの日記に力をもらって、
今日お母さんに伝えます。どうぞお父さんをもう許してあげてください」


 主人は、娘たちがまだ小さいときに他の女のところに行くようになりました。そして、時折帰って来ては、また他へでかける月日が続きました。
仕事と嘘をついて出かける主人に愛想をつかして、私は子供たちと家を出ました。私はそれから、女手ひとつで子供たちを育てました。
主人は他の女の人とは、しばらくして、縁を切ったようで、
何度も戻ってくるように私のところへ電話をよこしましたが、私はどうしても主人を許すことができずに、20年という歳月が経ちました。
ところが、去年の春、私は発病しました。病名は乳癌でした。
手術をして、抗がん剤を投与しながら、家にいたときに、娘が持ってきたのが、かっこちゃんの日記でした。


娘の手紙に、何をいまさらという気持ちがありました。
けれど、娘に内緒でこっそり日記を登録しました。
懸命にリハビリをされる宮ぷーさんとかっこちゃんの毎日を知るうちに、
私が、主人を恨みに思うことがいつのまにかばかばかしいことのように思えてきました。そんなときに、主人から、
「どうぞ僕のことを許して下さい。あなたが病気になって、いっそうあなたのことを大切に思えます」とはがきが来ました。
私は、主人がいなくなったときも、家を出たときも、癌が見つかったときも泣きはしませんでした。
けれど、主人からのはがきを読んだときに、年甲斐もなく大きな声をあげて泣きました。
そして、「私こそ、長い時間、つらい仕打ちをしてしまったことを許して下さい」とはがきを書いて投函しました。


 かっこちゃん、長々と書きましたが、今年のクリスマスとお正月は主人、娘、息子、私と4人そろってすごすことができました。
かっこちゃんと宮ぷーさんに心から感謝しています。
癌は私の恨みから来たもののような気がしてなりません。
もちろん癌という病気がそれだけではない理由の方もおられます。
私の場合はそうであった気がします。今は癌に感謝しています。
私は子供たちが小さい頃は、主人を許すことが、私の芯が崩れて、
子供を育てられなくなるような気がしていましたが、娘に教えられて、今の幸せがあります。
癌になったことで、おそらくは気弱にもなっていて、
主人の優しさが身にしみたのでしょう。
考えれば主人が他の女の人に走ってしまったのも、私が子供に夢中で、
主人に冷たく当たったことが原因だったのに、
主人はそんな私をずっと許し続けてくれていました。
主人のことをこれからは大切にしていたいと思います。
お二人のことこれからも応援しています。花より
・・・・・


花さんからのメール、うれしいです。
幸せな空気が、私のところにまでやってきて、
私もすごくうれしくなりました。
ああよかった。よかったです。ありがとうございます。
そして、思いました。
夏のお母さんと娘さんのできごとが、それだけでは終わらなくて、
こうして、また違うお母さんと娘さんが、「幸せです」っておっしゃること
につながっていく。
みんな一つのことはそれだけではないんだなあと思いました。
どのことにも、神様の計らいがあるのなら、
みんなで、ひとつの命をあすへ向かって生きていられるようなそんな気がしました。
明日もみなさんにいいこといっぱいありますように。
どんなことも、全部いいことにつながっているから大丈夫ですね。

かつこ


夏のある日の日記にある
「もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけているかっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです」
が心に残りました。



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