「清流交感」




月刊『清流』3月号(毎月1日発行)が届くと同時期、
広島の加藤さんからのメールが届きました。
いつものようにこの本の感想や、ご自身の近況報告が綴られています。
私もまた、返信を書くという月一回の往復書簡なのです。
こんな感じです。


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温暖な宇品でも先程から雪が降っています。
お元気佳くお過ごしでございますか?私もバタバタと動き回っています。
昨夜は寒い中を「テノールリサイタル」を聴きに行って参りました。
コーラスを少しの間指導して下さった先生のリサイタルだったので一緒に参りました。
お若い先生ですがしっかりお勉強なさっているなぁーと判る素晴らしいコ
ンサートでした。
何の分野も大変ですが一生勉強ですね。


「清流」が早くも届き一ヶ月の早さを又々感じました。
「毎日に活かす免疫力」のテーマに惹かれました。
極めつけは「病気になっても病人にならない心の免疫力を高めよう」ですね。さすが吉武さんだと想いました。
柳田邦男さんはNHKの記者時代広島放送局勤務になられて市役所担当におなりでした。独身時代です。
その時の美人とご結婚なさいました。
香山リカさんとの特別対談の前編、内容はさすがですね。
後編を楽しみにしています。
徳岡さんの「高峰秀子さん」のコメントは同世代を生きてきたものとしては本当に共感を覚えます。
私は映画は本当に観たいものしか観ない主義ですが、
高峰秀子さん、原節子さんは観て居ますね。
監督が素晴らしいから使う俳優も素晴らしい味をお持ちなのですよね。
久我美子さんという上品な女優さんがいらしたのですがもう高齢におなりでしょうね。
昔の俳優は今のように「歌手、タレント、お笑い」からなった方でないので「俳優」の仕事に専念なさっている事が佳かったのではないか?と想います。勿論最近の俳優さんも素晴らしい方も多いですね。


「清流」の雑誌の中から沢山の事を考えることが出来るのは有り難いですね。
偶然ですが、今図書館で「ピアノ弾き即興人生」を借りて読んでいます。
エッと想いました。
清川妙女史の「センスの佳いオシャレ心」の一端でも心に留めなけ
ればいけないと紫色の服を観て思いました。
いつも素敵なオシャレをしていらっしゃいますよね。
私は購買意欲がないので困りものです。オシャレ心はあるのですが・・・。


今しばらくはまだお寒い気候ですからお体をお大切にお風邪をお召しになりませんように。御元気佳くお暮し下さいませ。
春を心待ちに!!  加藤
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加藤さん   
いつまでも寒いですね。
そんな中、「テノールリサイタル」とはおしゃれですね〜。
あいかわらず、優雅な日常ですこと。
・・極めつけは「病気になっても 病人にならない心の免疫力を高めよう」
さすが吉武さんだと・・・には全く同感です。迫力がありましたねえ。
お互い見習いましょう。
高峰秀子さんの「二十四の瞳」は、なんど観ても感動しました。
あの頃はいい映画がたくさんあって幸せでしたね。
「清流」には春の風がふいていて、とってもこころが温まりました。素敵でした。


ふとしたことから作家の「一条真也氏」とお知り合いになった関係で、
最新刊「満月交感ムーンサルトレター」鎌田東二一条真也著 水曜社)
を読んでいます。
この本は「満月の夜に交わした往復書簡」60信なのです。
往復で1信で、現在は66信まで、永久に続けるそうですよ。


出版社の紹介によると、
「満月の夜、宗教哲学者 “鎌田東二” とハートフル作家 “一条真也” が交わす
神話・儀礼・宗教・芸術・哲学・民俗・社会の話……。
ドラッカーから村上春樹まで縦横無尽!一刀両断!」。
国文学専攻の加藤さんにこそ、ふさわしい本ではないでしょうか。


ところで私たち二人が「月刊清流」の発行日(1日)ごとに交わすレター、
「満月交感」にちなんで「清流交感」とでも致しましょうか?
素敵な名前考えて置いて下さいね。     大浦
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加藤さんは年齢は私の先輩で、読書のひと、知の集積の方で、
いつも教えられてばかりです。
「“立山観光”へ行く途中、雷鳥金沢駅を通るから停車時間に会いましょう」
と突然メールがきて、昨年の秋初めてお会いしました。


私の著書が、月刊『清流』(2007年3月号)の「新刊案内」に載った時、その記事を読まれた加藤さんが「あなたにあえてよかった」を読まれ、
長い長い達筆の手紙で感動を伝えてくださいました。
以来、月1回のメールでの往復書簡が続いているのです。

あなたにあえてよかった

あなたにあえてよかった



「新刊案内」ではこのように書かれていました。

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著者の二女、郁代さんは二〇〇五年八月、ガンのため三四年間の短い生涯を閉じた。
本書は、三四歳で亡くなった娘の記録ではなく、
最期のときまで精一杯生きた一人の女性の物語である。
ガンの手術を受け、いったんは順調に回復したものの、やがて再発。
 八年間を過ごしたオーストラリアを引き揚げ、両親の元に帰ってきた郁代さんは余命六ヵ月と知らされる。
残された命の限りを受け止めた郁代さんは、
大切な人たちを訪ねる「お別れの旅」に出、遺書を書き、自らの遺影を選んで、死の準備をととのえる。
 子を失って嘆き悲しまない母はいないだろう。
本書は、その悲しみが読む者の心を打つのではなく、死してなお娘との間に交わされた愛の深さゆえ、感動を呼ぶのである。
                 月刊『清流』(2007年3月号)より
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娘が「亡くなった物語」ではなく、
短い一生を「精一杯生きた一人の女性の物語」
をこそ書きたかった私にはとてもうれしい紹介文でした。


月刊『清流』には、
昨年から金澤翔子さんの「魂の書」の連載が始まっているのですが、
私の大好きなページで、いつも楽しみにしています。