みんな一つのいのちを生きている(3)

致知出版社のweb限定随筆より紹介させていただきます。
かっこちゃんの祈りがつづられています。
いつも仏様のまなざしが感じられます。


みんな一つのいのちを生きている(3)

        きっと日本は元気になる      山元加津子                  
                         

震災が起きてしばらくして、子供たちが私に聞きました。

「かっこちゃん、前に地震の勉強したでしょう? 
地震は地下にたまったエネルギーの放出って、かっこちゃん言ったよ。
日本の地下に溜まったエネルギーは
かならずいつかどこかで放出されないといけなかったのでしょう?
そのエネルギーが放出されるのは、
太平洋側の東北じゃなければならなかったの?
東京だったり、愛知だったり、静岡だったりということはあるの?」


クラスのみんなが私の顔をじっと見ました。

「どうして東北じゃなきゃならなかったの?」「どうして?」


私はなんと答えたらいいのかわかりませんでした。


「わからないの。わからないけれど、
東北の方が私たちみんなのことを命に替えて守ってくださったのだろうか?」


そう言うと子供たちがぽろりと涙をこぼしました。
私も泣けました。


そんな話を脳幹出血で入院している友達の宮ぷーにしたら、
宮ぷーも泣きました。


そしてしばらくして、宮ぷーは、
意思伝達装置をつかって「ありがとう」と言いました。


宮ぷーは誰にありがとうと言ったのでしょう?
東北の方に? 子供たちに? 
もしかしたら、
宮ぷーの「ありがとう」は祈りの言葉だったのかもしれません。
私も宮ぷーと一緒に「ありがとう」と祈りました。




宮ぷーが脳幹出血で倒れたとき、最初は3時間の命と言われました。
そのあと3日の命でしょうと言われました。


実際、脳幹出血をされた方の94パーセントは48時間以内に亡くなるというデーターがあるそうです。
宮ぷーの体についた計器が、いったい何の計器だったかはわかりません。
リズミカルな動きがなくなると、私はいっそう必死に祈りました。
宮ぷーの命が終わってしまわないように、助けてくださいと祈りました。
そうすると、まるで祈りが届いたように、動きが安定するということが何度もありました。


それから、多くの方が宮ぷーのことを祈ってくださいました。
私のメルマガを読んでくださっている方のお一人が、
「時間を決めて一緒に祈ろう」と声をかけてくださって、8時に祈ることになりました。


当時は息をすることも、難しく、痰も多くて、ずっと苦しそうな宮ぷーでした。
けれども、8時になると、まるで空からキラキラとした小さな光が雪のように降ってくるような気がして、
宮ぷーの息がすっと楽になり、つらいときには、
「もうすぐ8時になるからね。もうすぐ楽になるからね」
と言い続けていたことを思い出します。
祈りは届くんだということを、宮ぷーを通して思うようになりました。
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みんな一つのいのちを生きている(1)