石ころ、つぶてのように




連載小説「親鸞」より、時々転載しています。
今回は“念仏とは?”と、問いかけています。

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親鸞  激動編  121     五木寛之・作  


自分が雨乞いの法会をひきうけたならば、
当然、大勢の人が親鸞に期待するだろう。
その期待を裏切れ、と鉄丈はそそのかしているのだ。
人びとを落胆させ、念仏に対する思いこみをぶちこわす。
みなに罵倒され、石を投げられ、唾をはきかけられたあと、どうなるか。
べつに失うものなどなにもない、と親鸞は思う。


そんなことは、おそれない。
むしろ自分に対する人びとの過大な買いかぶりのほうが、よほど重荷だ。
流人とはいいながら、現在、親鸞はかなり居心地のいい場所にいた。
かって、比叡山で学んだという経歴だけでも、ここでは大変なことなのだ。
都に住み、有名な法然上人の門弟だったとなれば、なおさらである。
まして一族には、学者として名をなし、権門につながったものもいる。
自分も流人ながら国司、郡司からは一目おかれ、
役所の文書の仕事を手伝ってもいる。


そんな場所から人びとに念仏を語りきかせることなど、できるだろうか。
〈できない〉と、親鸞は思う。
彼の心には、焼け野原、という鉄丈の言葉に、
つよくひかれるものがあった。
徹底的におとしめられた場所にうずくまって、
そこにじっとしているだけだ。
人びとにさげすまされ、石ころ、つぶてのように無視される、そんな存在。
唾をはきかけられ、ののしられながら、だまって座っている。


そんななかで、だれか一人でも、
「おまんさあ、念仏ちゅうのは、いったいなんなんかね」
と、たずねてくれる人がいるならば、そこが出発点だ。
親鸞は微笑した。
「やってみよう」
と、親鸞はいった。                 (北國新聞連載)
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いつも読ませて頂いている全休さんの今日のブログは「三部経千部読誦」 。 


飢饉に苦しんでいる人々と出会い、
衆生利益のために三部経を千部読誦し、
その功徳をもって民衆を救おうと思い立ったことがありましたが、
結局、誤りに気づいて千部読誦はやめ、目的地の常陸に向かう親鸞のお話しでした。