かっこちゃんを語る

街を歩くと


郁代の番組
24時間テレビ1
24時間テレビ2
で、『本当のことだから』が映っていた時はとてもびっくりしました。


「郁代が亡くなった後部屋に遺されていたのは、
『本当のことだから』(山元加津子著・三五館)でした」と、
取材の時お見せしたからですが。


「おはなしだいすき」の今月のインタビュー記事は、
三五館社長の星山佳須也さんが、かっこちゃん(山元加津子)を語ります。
星山さんは二人三脚で、
これまでかっこちゃんの数多くの著書を出版し続けてこられたのですね。


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「寄稿文」ぐるぐる、ぱあな眼


 東日本大震災地震津波原発事故)では私たちの目の前で、いま同じ時代を生きていたとてつもなく多くの方々の命が奪われていきました。
この現実を前にして私には、枕詞的に「お見舞」や「悼む」文言を発することにものすごい距離感を禁じえず、だから3・11から一カ月が過ぎてなお「祈る」ことも「願う」ことも、まだできずに今います。


 本心をいいますと、仕事にも集中できずにいます。仕事とは思考と行動の繰り返し、すなわち判断の積み重ねだと思うのですが、それが実にゆるくなっています。出版業界はすでに以前から不安定な斜陽業種となっていますから、しっかりしないと会社の仲間に迷惑をかけてしまうのですが、死だとか破壊だとか涙だとか非礼だとか偽りだとか強がりだとか、いろいろなものを見聞きするたびに、どんどん自分の存在が消えていくような気がしてなりません。
 進行する悲惨さを前にして自分の価値観が思いっきりゆらいでいる者に、発するべき言葉などなにもないのです。


 自分は何者なのか? 何ができるのか? 何を守れるのか? 何のために生きているのか? 深夜、焼酎を呑みながら毎日ボーッと考えています(まあ、酒が飲めること自体、自分に対する偽善の表われなのですが、軟弱者につきご容赦ください)。心の置き処がなく、考えるポイントは転々として移っていき、まったく深まりません。つい最近読んだ本や新聞記事も記憶に残らず、打合せで話した内容もすっかり忘れてしまいます。


 脳ミソをぐるぐるしていると余震が襲ってきました。酔っていてもビクッとします。きっと命がおしいので構えるのです。小さい小さい、とても卑小な自分に気づきます。流す涙はないけれど、心の中は涙です。


 ふっと今日読んだかっこちゃんのメルマガを思い出しました。2011年4月13日のものです。宮ぷーが幻聴や幻覚のようなものに悩まされていたとき、かっこちゃんに「ころす」といったときのくだりです。


「(かっこちゃんは)驚いて、そして泣きました。『ころす』と宮ぷーに言われたことを嫌だから泣いたのではないのです。いつもいつも優しい宮ぷーが、そんな言葉を使うのはどうしてだろうと思ったのです。宮ぷーが本当につらくて、さびしくて、誰のことも信じられないほど不安で、本当にどうしていいかわからない中にいるんだと感じて、宮ぷーのことがいっそう大切に思えて、いとおしくて泣いたのです。
 その言葉に宮ぷーは一年以上たった今も苦しんでいたのだと今日知りました。宮ぷー、そんなに苦しまないで、自分を責めないで。私はその言葉を聞いて、宮ぷーのことをいっそう大切にしたいと思ったよ」


 どうです、こうやって技をかけてくるのです。だから、宮ぷーとかっこちゃんの関わりの記述、私は大好きです。肉体と精神の確かなリアル感が、読んでいると明快に伝わってくるからなのでしょう。守り、愛し、育む時間を持っているお二人の巨大な不思議をいつも実感しています。そういう人に自分もなりたいなあ、と思うからなのか、自分にないものへの憧れなのか、宮ぷーとかっこちゃんの出来事ばっかり読んでいたい自分を、余震が気づかせてくれました。


 私にとって、守り、愛し、育む対象って何があるんだろう。今まであったのか、これからあるのか、またぐるぐるしてくるのです。


 山元加津子さんと初めてお会いしたのは、いったいいつだったのかもう思い出せません。『たんぽぽの仲間たち』が三五館から刊行されたのが1996年5月なので、その半年か一年ぐらい前ということになるのでしょうか。


 エッセイストのキョンナム(朴慶南)さんから「素晴らしい先生と素敵な詩を創る生徒さんがいるんだよ!」と教えられて、小松だったか金沢だったかに、土曜か日曜か祝日にうかがったのでした。山元先生が手作りしたプリントを読んでいました。大ちゃんの詩があり、山元さんの解説のようなものがしっかり記されていたはずです。しかし、前泊した京都の夜の酒が深すぎて、実にキツイ北陸行でした。というぐらい、気はゆるんでの旅立ちでした。


 ふつう出版社の者は、大ちゃんの詩に興味を寄せるのではないかと思います。大ちゃんの詩はそれぐらい素敵なものだからです。私も、大ちゃんの詩は素晴らしいと関心を持っていました。


 でも昏明の宿酔いながら、この二人の間の見えない部分に何かある気がしてなりません。なぜだ? なんだ? どうなっているの? がぐるぐるします。


 初めて会ったときの山元さんは、ふわーっとしていて、ほのぼのしていて、天女のようでした。天女とは何か? だいたいどんな人にも小さな小さな「欲」のようなものが見てとれるものなのですが、それがまったく無い人のことを私なりの言語で表したものです。


 直感とは理屈でなく、瞬時の決定なのだと思うのですが、この人の不思議に近づいてみたいと、内なる宿酔いの声が聞こえたものです。


 大ちゃんと仲良しというのはどうにか理解できるものの、こういう学校の先生もいるのかと不思議で、この人がお母さんをしているとはもっと不思議で、ことによるとオレはとてつもない人間の風景を見ているのではないかと、不思議が山積みです。


『たんぽぽの仲間たち』から始まって、最近の『満月をきれいと僕は言えるぞ』まで、それはアッという間の時間です。今なお不思議はいっこうに減りません。


もし山元さんの日々の暮らしが「山元加津子劇場」というものだとしたら、それはきっと笑って泣いて感心して、世の中に良い風を送る装置の働きをしていくことになったでしょう。ところが、宮ぷーが登場してからというもの、ガラっと様相が変わってきたように思います。たやすく良風を受け浴びるといった、そんなヤワなものではなくなったのです。語れば長くなるので機会を改めたいと思いますが、宮ぷーとかっこちゃんのドラマは、ちょうど万華鏡のように、観るひと一人ひとりにその人なりの人生観や死生観を問いかける不思議を秘めている気がします。


 だから私自身がいま自分の存在のはかなさを前にして、メルマガで宮ぷーとかっこちゃんの関わりの記述に出会うことを望んでいるのは、生きている役割を追い求めているからなのだと思います。


 大震災で亡くなった幾万の方々は、確かに亡くなったのですが、その方々がみんなでそろって百年後の未来の行く末をにらみ見ているような気がしてなりません。どんな郷土にするのか、どんな世の中に(お前は)しようとするのかと。今生きている私たちには及びもつかないぐらい真剣に、死したがゆえに未来への役割を荷なっているように思えてならないのです。


 さらに言えば、暴れん坊に仕立て上げられた哀しき原発だって、百年後の人間社会の在りようをにらみ見ていると思います。


 そうして考えていくと、今生きている私は、犠牲になった方々や原発の意思をまっとうに汲み取って、百年後の良い未来づくりのために、彼らに負けない行動をとらないといけないはずです。なのに、ぐるぐるしていて、まったく……。

 
自分の足元に本当のことのすべての真理があるとは、よく言われる考え方です。
 宮ぷーとかっこちゃんの日々の出来事には、人間らしさの「かたち」が、確かにいつもいつもあります。だから余震の中で思い返したのでしょうか。


 山元さんの不思議の山に、また入っていくときが来たのかなと思っています。私の足元である出版で、未来づくりの役割の一端を果たさねばいけないときです。なのにまだ、言葉が発せられないのです。


 震災で犠牲になった方々は、死んではいない。私たち一人ひとりの本物度を見ているのだという意思が伝わる、それがわかります。


星山 佳須也
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「おはなしだいすき」


かっこちゃんの日記配信「宮ぷー心の架橋プロジェクト」