星の王子さま

浅野川にて


青木新門さんのお話は、何度も直接お聴きしましたので、
親しく読ませて頂いています。


新聞連載  いのちの旅 〜青木新門〜 は 
  星の王子さま    「目に見えない美しい世界」  でした。


(前略)
   両刃の剣
人間は3日も水がなければ、死を覚悟しなければならない。
その水が津波となって一度に襲えば、多くの人の命を奪う。
この度の東日本大震災の死者の九割は津波によるものであった。
科学技術も両刃の剣であるが、水もまた両刃の剣であるといえる。


人類は自然を如何にコントロールするかで繁栄してきた。
特に近代化を是とする今日の社会は近代ヨーロッパ思想を基盤としている。
人間は選ばれた存在であるとするキリスト教思想を前提に、
自然を征服して人間のために寄与することが人間に与えられた使命であるかのごとき思想でなりたっている。


その科学技術への絶対の信頼が崩壊した時、
即ち自然をコントロールできなくなった時、
科学者は敗北感を味わい、
科学を信じていた人々も科学に不審を抱くようになる。
福島第一原発事故は今日の科学技術では核反応を十分にコントロールできないことを証明する結果となった。


「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、
その美しいところは、目に見えないのさ」
サン・テグジュペリ星の王子さまに語りかける。
砂の上に腰掛けていた王子さまは
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・・」
という。
そんな会話が『星の王子さま』にある。


津波に襲われた三陸の被災地を見て人々は、
その変わり果てた惨状に呆然と立ち尽くすしかないだろう。
人々は復興を叫び、「がんばれ」と励ます。


しかし深い悲しみを背負った人が立ち上がるには、希望の光が求められる。
瓦礫の地平に微かな光を見出すことが再生への力になる。
瓦礫で見えなくなった井戸、すなわち〈いのち〉の水、
豊かな三陸の海、
そして子供たちの笑い声。


「ぼく、その笑い声をきくのがすきだ」
と言い残して、ピカッと光って消えていった星の王子さま


   究極の拠りどころ
ひとによっては、この『星の王子さま』を現実から目をそむけた逃避の文学だという人がいた。
苦痛となっている当面の問題、つまり被災地の惨状を解決しないで、
何が美しい世界だと。


しかし私は、
それでも目にみえない美しい世界を見失ってはいけないと言いたい。
なぜなら目に見えない美しい世界こそが真実だからである。


親鸞聖人が「清浄光明ならびなし」(しょうじょうこうみょう ならびなし)と、
目に見えない美しい世界を「究極の拠りどころとせよ」
と和讃(わさん)にある厳命を私は信じて疑わない。


                      (5月10日 北国新聞