海からおしよせてくる重い波のような声が



新聞連載「親鸞」(五木寛之・作)143より転載しています。


台地にたくさんの人の顔がみえる。
親鸞のかすんだ目に、それらの人びとの顔は重なりあい、揺れうごいてぼんやりとしかみえない。
夜明けどきには、警護の武士や、役人たちや、
数十の男女がいるだけだった。
しかし、いま親鸞の目には、百人、二百人、
さらに多くの人びとの顔がみえる。


親鸞は歩きながら目をこすった。
〈自分は夢を見ている―〉
そう思って、親鸞は頭をふった。
 目をこらして台座の下をみわたす。
念仏の声がきこえた。
それは恵信の声でも、長次や鉄杖の声でもない。
海からおしよせてくる重い波のような大勢の声だ。
 

親鸞はたちどまった。
 灰色の空から、光の束のような陽光が台地を照らした。
そこには、たしかに数百人の男や女たちがいた。
手を合わせ、声をそろえて念仏する人びとの姿だった。
 人の数は少しずつふえてきている。
五百人、いや、みているまにも、
続々と千人をこす男や女がつめかけてきている。
 その人びとの視線が、
まっすぐに自分にそそがれているのを親鸞は感じた。


「なむあみだぶつ」
と、親鸞は念仏した。
「なむあみだぶつ」
と、群衆の声が応じた。


 親鸞はふたたびよろめきながら歩きだした。
自分がそうしているのではない、と親鸞は思った。
 はなやかな祈祷の修法でなく、
ただ歩きながら念仏するという親鸞の姿に、
落胆し、失望して去っていった人びとが、なぜかもどってきたのだ。
 そして全員が手を合わせ、なむあみだぶつ、ととなえている。


親鸞の胸の底に熱いものがこみあげてきて、体がふるえた。
 いまこの台地に、ふたたび集まってきた人びとは、
ただ雨を待ちのぞんでいるだけではないだろう。
親鸞がぶざまに崩れおちる姿を見物しようという群衆でもないはずだ。
それがなにかは、親鸞にもわからない。
 しかし、人びとの数は、さらにふえつづけている。
すでに台座の周囲は、ぎっしりと埋めつくされて、恵信の姿もみえなかった。