いずれの行もおよびがたき身なれば
おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、
たずねきたらしめたまう御こころざし、
ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。
『歎異抄』第二章より (1)
二十四日午後、
宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要にお参りしました。
お天気も良く、
五千五百人の方と一緒に「正信偈」を唱和させていただきましたご縁、
有難いことでした。
エレベーターで、修復中の阿弥陀堂屋根近くから 御影堂の屋根
高 史明さんのメッセージ
「いずれの行もおよびがたき身なれば、
とても地獄は一定すみかぞかし」
をいただくと、
阿弥陀様がより一層身近に感じられるのではないでしょうか。
『歎異抄』第二章より (2)
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親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、
また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。
総じてもって存知せざるなり。
たとい、法然聖人にすかされまいらせて、
念仏して地獄におちたりとも、
さらに後悔すべからずそうろう。
そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、
念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、
すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。
いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
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二十五日は長浜別院大通寺にお参りしてきました。