信の一念
全休さんが届けてくださいます『仏教ブログ〈聞其名号信心歓喜〉』、
毎日有難うございます。
郁代からの大切な手紙として、欠かさず読ませていただいています。
いつも自分を見失い、道に迷う私ですが、
帰るべき故郷があることは、どんなにしあわせなことでしょう。
横道へ入ってもまた戻ってきて、
いつでも安心して“如来の御はからいに一切をおまかせ”すればいいのですから・・・。
今日届いたお手紙は、曽我量深師のお言葉でした。
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信の一念
人間はお念仏にはからいを持っておる。
そのはからいをすてしめんがために信の一念という。
信は一念に成就するものである。
だから信を得たならば、後は信を乗り越えて仏恩報謝、と。
仏恩報謝は信の一念を超越しておる。
信の一念に固執しておれば自力でありましょう。
それを一つ乗り越えて、軽く、
そして後は如来の御はからいに一切をまかせていくことができる。
それがすなわち仏恩報謝というものです。
(曽我量深講義録・上巻 20ページ)
「信の一念」とは、信心獲得(ぎゃくとく)という宗教体験の一瞬の
ことです。
信体験を得るだけでも大変なことですが、
それだけに信体験を得ると信を得た自分が誇らしく思えて、
無我どころか、智慧を自分の手柄にして大我(自力)になってしまう
ことがあります。
このことに注意しろよ、と量深師は言っているのです。
七地沈空の難ということがありますが、
それを超えて行くのが仏恩報謝の念仏です。
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