三帰依文

中央公園滝   横を通るだけで涼しい



昨日はお寺で藤原正洋師の法話をお聴きしたのですが、
初めに合掌して三帰依文(さんきえもん)を唱和しました。


三帰依


「人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。
仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生(こんじょう)において度せずんば、
さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、
至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。


自ら仏に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、大道(たいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。


自ら法に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて、
智慧(ちえ)海(うみ)のごとくならん。


自ら僧に帰依したてまつる。
まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理(とうり)して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。


無上甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。
我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。
願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん」


三帰依文とは―。
・・・・・
親鸞聖人の教えによれば、
聖人はご自身の所信を同行衆(どうぎょうしゅう)に語っておられます。


親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、
よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
                        (歎異抄・第二章)


 仏法僧の三宝に帰依するという表白(ひょうびゃく)は、
ひと言でいえば「ただ念仏する」ということでしょう。
・・・・・


藤原正洋師は
“加賀の三羽烏”の一人藤原鉄乗師のお孫さんです。
以前、
藤原鉄乗書
「篤く三宝を敬え」(複製)(聖徳太子十七条憲法より)
を頂いたことを思い出しました。




お話の内容は、
「ただ念仏する」でした。


皆さん鏡をみてください。
もっとわかりやすくいうと、
20年前のアルバムを見てごらんなさい。
「私も見事に壊れてきたな」ということがはっきりわかります。
 みなさん方、時々刻々壊れつつあるのですよ。
私のものだったら壊れません。
老化なんかしません。
病気にもなったりもしません。
ましてや死んだりもいたしません。


けど私でないから老います。
老化します。
病も出ます。
やがて死んでいきます。
私だ、私のものだと抱え込んでおりますけれど、
私のものでないという証拠が出ていますね。
これは鏡を見たらわかる。


絶対他力に生かされているいのちなのですね。