施療所開設

新聞連載「親鸞」激動編(五木寛之・作)178より抜粋しています。


<あらすじ>
守議代の戸倉兵衛は溜め池の堤を切って河原を一掃しようと企んだが、
息子がそれを密告。
外道院らは住処の廃船で海へ脱出した。
残った親鸞は、人びとの期待と法然の教えとの間で悩み、
施療所開設を決めた。


雪がとけはじめるころ、施療所の仮小屋ができあがった。
親鸞は毎日、朝はやくから夜まで、
施療所の工事の場所につめきりで仕事を手伝った。
犬麻呂の紹介で都から医師(くずし)が到着したとき、
親鸞は施療所の屋根に石をのせる作業にとりかかっているところだった。
六角数馬に案内されてやってきたのは、
まっ白な髭をはやした小柄な老人だった。
太い眉、ぶあつい唇、団子のような鼻と、目尻のさがった柔和な目。
とびきり高齢の老人のように見えたのは、その白い見事な髭のせいだろう。
 しかし、がっしりした体には、たくましい精力がみなぎっているようで、
親鸞はふしぎな感じをうけた。
どこかで会ったことがあるような気がしたのだ。
「こちらが―」
と、六角数馬が医師を親鸞に紹介しようとしたとき、
親鸞は思わず声をあげた。
「法螺房どの!法螺房弁才どのではございませんか!」
「タダノリ、いや、いまは親鸞どのか。おひさしぶりでござるな」
親鸞は駆けよって医師の手をにぎりしめた。
(後略)




              挿絵・山口晃



朗読会では“法螺房弁才” “タダノリ”に会えるというわけなのです。