少年の写真

かっこちゃんとやくざさんのお話を読んだとき、
正信偈の〈大悲無倦常照我〉が浮かんできました。


ところが、同じ日の青木新門さんのエッセイ「いのちの旅」に、
〈大悲無倦常照我〉と書かれていて驚きました。
少年の写真は、これまで青木氏の講演会で何度も紹介されています。


 
いのちの旅    青木新門     
           〜少年の写真  語らざれば憂い無きに似たり〜


私は平成六(一九九四)年の夏、一枚の写真に出会ってから、
八月になるとその写真を取り出して自分の書斎に飾り、
写真の少年に語りかけてお盆を過ごすようになった。
そんな秘儀をはじめて十七年になる。



原爆投下から間もない長崎で、
海兵隊の従軍カメラマンであった
ジョー・オダネル氏(故人)が撮影した少年の写真。
1994年、青木氏がオダネル氏から受け取った。



少年よ
「立派な日本男児になれ」と
きみの父は出兵していったのか
「弟を頼む」ときみの母は息をひきとったのか
きみはけなげにその言葉を守って
弟の亡骸(なきがら)を背負って
ここまで歩いてきたというのか
少年よ
歯を食いしばって何をみているのか
戦争の悲惨さか
人間の愚かさか
それとも彼方の青い空なのか
少年よ
それにしてもきみの直立不動の姿勢は
痛々しすぎる
あれから六十六年
今年も蝉が鳴いている



私が終戦を迎えたのは満州で八歳であった。
母とはぐれた時、満州の荒野に三歳の妹の遺体を捨ててきた私は
この少年の気持ちが自分のことのようにわかる。
わかるけど言葉にできない。
相田みつおの「憂(うれい)」という詩に代弁してもらおう。


むかしの人の詩にありました。
君看よ、双眼の色
語らざれば、憂い無きに似たり
憂い・・・が無いのではありません
悲しみが・・・ないのではありません。
語らない、だけなんです。
語れないほど、深い憂い―だからです。
語れないほど、重い悲しみ―だからです・・・


ちなみに〈昔の人の詩〉とは良寛の双幅の名書
「君看雙眼色 不語似無憂」のことである。
良寛も悲しみを背負った深い憂いのわかる人であった。
また大悲と言えば親鸞は〈大悲は浄土の根とす〉と大経に記し、
〈大悲無倦常照我〉と正信偈に記している。
弟の遺体を背負った少年の写真が、如来大悲のように思えた。
                  (北国新聞8月9日掲載より抜粋)