蝶になって

郁代の七回目の命日です。
川岸を歩いていたら、花に蝶が・・・。


「いくちゃんだいすきだよ」




♪  ほとけはつねに いませども
   うつつならぬぞ あわれなる
   ひとのおとせぬあかつきに
   ほのかにゆめに みえたまう



今日届けられた、新聞連載「親鸞」です。
激動編(五木寛之・作)221より転載しています。


山と水と空と(7)
  

道場内に集まった人びとのあいだに、ざわめきがひろがった。
原崎浄寛が驚いたように声をあげた。
「いま、歌をうたう、と、いわれたのか。親鸞どのが、歌を?」
「はい」
親鸞は微笑してうなずいた。
「どうやら歌は好きだが、説法は苦手、というかたがたが
きょうは大勢おられるようなので」
親鸞は好奇の目をむける人びとに、ざっくばらんな口調で話しかけた。
「わたしが幼いころ、京の都では今様という歌が、熱病のように流行していたものであった。当時、今様の人気たるや大変なもので、道を行く男も女も
今様を口ずさみつつ、首をふりふり歩かぬものなし、とまでいわれたものだ。もともとは白拍子や遊び女などのあいだでうたわれた巷のうたであったが、やがて世人みなこぞって愛唱し、ついには宮廷のやんごとなきかたがたまでが夢中になるという流行ぶりだったのです」
「今様なら、おれも知ってっと。親父がよく艪こぎながら、うだってた」
と、吉兵衛が大声でいう。
親鸞はうなずいて話をつづけた。
後白河法皇というかたは、今様狂いと自称するほどの今様好きで、
今様の名手とあれば身分の差別なく招いて、夜を日についでうたい明かされたという。そんな今様のなかでも、わたしの好きな歌のひとつがこれだ」
親鸞はふと遠くをみるようなめになると、ごく自然にうたいだした。


♪  ほとけはつねに いませども
   うつつならぬぞ あわれなる
   ひとのおとせぬあかつきに
   ほのかにゆめに みえたまう


うたい終わったあと、親鸞はしばらくだまっていた。
道場に集まった人びとも、なにもいわなかった。
原崎浄寛が、その沈黙をやぶって、はたはたと手をたたいた。
「見事じゃ。こんな歌をきいたのhが、何十年ぶりであろうか」
「こりゃ、おったまげた」
吉兵衛が大声でさけんだ。
「おれ、涙がでできた。なんちゅうか、まあ」