子どもたちが教えてくれたこと(1)

オレンジのハイビスカスみつけたよ。


かっこちゃんのメルマガ
第744号 「宮ぷー心の架橋プロジェクト」より抜粋転載させていただきます。  
                          

森安さんからメールを頂きました。
森安さんの講演の原稿だそうです。
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子どもたちが教えてくれたこと(1)

 
「私たちの会社」 
私たちの会社は平城宮跡朱雀門の隣にあります。
会社ができて36年になります。
社員は85名で、障害のある社員が14名、難病の社員が1名います。
私たちの会社はユニットバスを作っています。
工場で部品を作って、建築現場で組み立てて作るお風呂のことです。


「人の能力と価値」
人はみんな、持って生まれた能力があります。
100点の人もいれば、50点の人や30点の人もいます。
いろんな人がいるのがこの社会です。
私たちの会社には、知的障害のある社員がいます。
彼らの能力は確かに低いかも知れません。
でも、私たちの会社は、彼らが働くようになって、50点や30点の人がいても、今までと同じ、それどころか、今まで以上の結果が出せるんだということがわかってきました。
私が社員を採用するときの基準は、
「仕事にふさわしい人を採用する」というものです。
普通の会社は、応募者を比較して優秀な者から順に採用します。
AさんとBさんが応募して、AさんとBさんを比較します。
Aさんは優秀、Bさんは能力が低い。
満場一致でAさんを採用するのです。
でも私は仕事とAさん、仕事とBさんを比較します。
確かにAさんは優秀。
でもこの仕事ではAさんは能力を遊ばせてしまう。
Bさんは能力が劣る。でもこの仕事のレベルにふさわしい。
だからBさんを採用しようと。
その考えは今、さらに進んでいます。
仕事を誰でもやりやすく易しく変えていけば、
能力の低い人にも働いてもらえる会社になるのだと。
逆に、能力の高い者しか受け入れられない会社は、
働きにくい会社なのだと。
そして私たちは、この会社に知的障害のある社員を迎え入れてから、
それまで目の前にあったのに誰も気づかなかったことを、
たくさん教えられるようになりました。
今日はそんな彼らが教えてくれたことをお話していきます。
この写真は私たちの会社の知的障害のある仲間たちです。
また、毎年養護学校の知的障害のある子どもたちが、
職場実習に来てくれます。
障害あるみんなはいつもいつも、
いろんなことを私たちに教えてくれます。
私はこの障害あるみんなのことをたくさんの人に知ってもらいたくて、
こうやってお話させてもらっています。


私はある出会いから、養護学校の知的障害のある子どもたちと知り合いました。障害のために就職も難しく、幸せとはほど遠い一生を送る子も多いことを知りました。
私はその場で、この子どもたちのために仕事をしようと思いました。
会社で職場実習の提案をしましたが、
知的障害者は何をするかわからん」
「うちの会社に知的障害者が働ける職場などない」と言われました。
そんな中で初めての実習は行われました。
実習に来たのは高校2年生の男女3人です。
そして私の思いどおり、この3人の子どもたちの活躍は社員たちの目を大きく変えてくれました。
今の私があるのは、この子どもたちのおかげです。


「私の夢」
ところで私はこんな夢を持っています。
「誰もが当たり前に働ける会社」 
「誰もが当たり前に暮らせる社会」
私たちの会社には、知的障害がある仲間がいます。
この会社で彼らが幸せに働いてほしい。
彼らが幸せに働ける会社は、みんなが幸せに働ける会社です。
そしてこの社会もそうです。
障害ある人たちが幸せに暮らせる社会は、
みんなが幸せに暮らせる社会です。
だから、誰もが当たり前に働ける会社に。
誰もが当たり前に暮らせる社会に。それが私の夢です。


「障害者ってどんな人?」
障害者と聞くと、どんな障害か、程度は、どんな行動をするのか。
そんなことを人は気にするものです。
その人のことを知るのに、障害の種類とか、重さとか、行動特性とかが真っ先に重要なことなのでしょうか?
私は未だにうちの社員たちの何が障害なのかは知りませんが、
彼はこんなことが好き、彼女はこんなすてきなところがある、
みんなこんなに一生懸命生きている。
そんなことを私は知っています。


「人を光らせるもの」
この会社の社員で知的障害のある留美さんです。
勤めて3年になります。
前に勤めていた会社では「あんたら障害者なんて雇わんでもええねんで」
と言われていたそうです。
彼女が初めて会社に来たときのことは覚えています。
受付から電話がかかってきました。
「森安さん。用件が自分でわからないという人が来てますけど」
留美さんが来たんだなと思って、私は受付まで迎えに行きました。
留美さんは困ったように受付簿の前に立っていました。
留美さん、どうしたの?」
「・・・ようけんって・・・なんですか・・・」
留美さん、用件というのは、今日この会社に何をしにきたかということだよ」「めんせつです」
「用件のところには、面接って書いてね」
「・・・めんせつ・・・かけません・・・」
留美さん、ひらがなは書ける?」「かけます」「ひらがなで書こう」
留美さんは、ひらがなで「めんせつ」と書いて、
ようやく受付を通りました。


そして面接をしたのだけど、私はこの仕事を始めたことを後悔しました。
なぜといって、
留美さんはとっても小さくて、とってもみすぼらしかったからです。
こんな人がうちの会社で働けるわけがない。そう思いました。
でもとにかく、実習をして決めようということで、
4日間の実習をしました。
仕事の覚えはとても遅かったのだけど、
2日めぐらいには、私は彼女を採用しようと決めていました。
それは、彼女は何をやっても絶対に、あきらめるということをしなかったからです。
夕方に「留美さんご苦労さん。また明日がんばろう」そう言うと、
彼女は材料を家に持ち帰って家でも練習しました。
ご家族が見るに見かねて「今日はもうそのくらいにしといたら」と言っても、彼女はやり続けたといいます。
その気持ちがあれば、何でもできるのだと、私は思いました。


こんなこともありました。50枚ロットで仕上げていく製品です。
やっと50枚できたので、
留美さんひと山できたよ。数かぞえてみて」
そう言うと留美さんは、
「・・・10、11、12、13・・・・・・わかりません・・・」
「え?もう一度かぞえてみて」
やっぱり留美さんは「・・・12、13・・・・・わかりません・・・」「じゃあね留美さん。10まで数えたら、また1から数えよう」
そうやって10ずつ5回数えて、留美さんは50がわかりました。


入社してからも引き続いて、留美さんと私は朝から夕方まで作業の習得をしていました。
研修期間が終わっても、彼女が達成できた作業スピードはたったの30%でした。それでも私は手を放して、彼女を製造現場に入れました。
1か月がたち、3か月がたち、少しずつだけど確かに彼女は成長していました。そして6か月がたったとき、彼女は一人前の作業者になっていました。それだけではありません。
彼女は見違えるように、明るくきれいになりました。
初めて会ったときのことを思って、
人はこんなに変わるんだと、私は思いました。
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森安さんのお話しの続きは明日載せさせていただきますね。

かつこ


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