子どもたちが教えてくれたこと (2)


かっこちゃんのメルマガ
第745号 「宮ぷー心の架橋プロジェクト」より抜粋転載させていただきます。  
                          

森安さんのお話しの続きです。

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子どもたちが教えてくれたこと(2)


次は社員の将義君です。
特定のことにとてもこだわりがある彼です。
朝更衣室で髪型を整えます。
どうみても丸刈りに見えるのですが、鏡を見て時間をかけて髪形を気に
します。
やっと髪型を整え終わるのだけど、最初とちっとも変わっていないのです。
洗面所で手を泡だらけにして、10分ぐらい手を洗っている人がいたら、それは彼です。
バスが大好きで、必ず運転士が見える一番前の席に座るのは彼です。
養護学校在学中に、ほかの会社に就職が決まっていましたが・・・その会社の社員たちから「あんな子と同じ会社だと思われたくない」という声があり、取り消しになったそうです。


彼はカウンターという製品を作る仕事をしています。
大きなプレス機を使って、たくさんの手順があって、品質基準も厳しいとても難しい仕事です。
知的障害者にこんな
難しい仕事は任せられないだろうという見方に反して、彼は今1人でこの職場を任されています。
何かとこだわりのある彼は、仕事の手順も正確で、検査も、非常に細かい基準に正確に従うため、どんなキズも見落とすことがありません。
彼が検査したのなら間違いはない、とみんなに言われています。
私は彼が養護学校時代に、絵を描いたり工作をするのを見て、物の成り立ちを見抜く力、物を作る力の優れているのに感心して、この力はもの作りに活かせると思って、採用を決めました。
コミュニケーションはイマイチで、いまだに話をするとかみ合わないことがあります。
でも4年つき合って、私は一度も困ったことはありません。


それからある養護学校で出会った、知的障害のあるリサさんのことをお話します。
リサさんはおしゃべりが不自由です。
私はリサさんは何も考えてなくて、何もわかってないんだと思っていました。ところがある日、たまたまリサさんが書いた作文を目にしてびっくりしました。
原稿用紙数枚にわたって、表現豊かにつづられた文章でした。
私は初めて、体や知的能力は不自由なところがあっても、
心はとても自由なんだということを知りました。
リサさんはメールが得意で、送ったらすぐに生き生きとした返事が返ってきます。そうやって、適切な補助があれば、障害があっても自由に表
現を楽しむことができるんだと思いました。
人の表面しか見ることができなかった自分に気づかされました。
ハンディがある人ほど、自分を表現できない、理解してもら
えない、もどかしい思いをしていることに気づきました。


最後に、職場実習にゲーム機を持ってきた生徒の話です。
「休み時間はいちばん好きな過ごし方をするんだよ」と言ったところ、
彼はゲーム機を持参しました。
そして、巡回で来られた先生に「これは仕事と関係ないだろう。しまってこい」と言われました。
先生が帰られた後、私は彼に「すぐ使いたいものは手元に置くんだよ」と言いました。
彼は安心して仕事をして、休み時間はすぐゲームをすることができました。そして、自分で時間を守って、また仕事に向かいました。


大事なのは、こだわることも好きなことも思い切りやって、
仕事も集中してやる。
そのけじめが自分でつけられることです。
私たちは「余計なことはやめさせることによって、仕事に集中させよう」と思うものですが、それは教育の半分ができていないのです。
彼にとってみれば、どれも同じだけ大切にしているのだということを、忘れ
てはいけないと思います。
好きなことをやめれば、きっと、仕事もできない、切り替えもできない中途半端な人間ができあがることでしょう。


「同じ気持ちで」
私は知的障害者の作業支援の勉強をしたときに、こんなことを学びました。
知的障害者に仕事を教えるときは、こうするんだという方法です。
実際いっしょに仕事をしてみてどうだったのでしょうか。


1.初めから一貫して(同じ方法で)繰り返す
2.指示者、指導者は同じ指導をする
3.理解しやすい方法を考える
4.指導内容をいっしょに整理する
5.できたことをほめる
6.理解したかどうかの確認をする


ひもで作る部品があります。
養護学校の生徒には、同じ形にそろえるのが難しい作業でした。
私がいっしょに作業しながら、つまづいているところを観察して、
わかりやすい手順書を作って、養護学校の生徒にも、この作業ができるようになりました。
後日製造課に行ったとき、社員がみんなでその手順書を使っていました。「これは、みんながわかりやすいから、使わせてもらってるよ」と。


私は、養護学校の生徒が、この作業がわかりにくいから、できないから、それを何とかしようと思ってやったのだけど、
そんなことではありませんでした。
みんながわかりやすい、みんなができるということが、いちばん尊いことなんだと。
そうすれば、障害の有無なんて関係ないんだと思いました。
障害あるみんなが、この作業はわかりにくいよ、この作業は力がいってしんどいよ、この部品は何でこんな形なの?
といろんな疑問を出してくれました。
私たちはそれを一つ一つ改善していきました。
その結果どうなったでしょうか?
障害ある人だけが助かったのでしょうか。
そうではありません。


職場のみんなが、わかりやすくなりました。
楽にできるようになりました。
健康な環境になりました。
扱いやすい形になりました。
障害あるみんなが来てくれるまで、私たちは何年も気づかずにいたことが、たくさんありました。
こうやって、障害あるみんなに気づかされて、初めていろんな改善をしてきました。
指導法とか上から目線なものはあるわけですが、同じ気持ちで、目の前にいる相手と学び合うことがいちばんだと思ったものです。


「信じること、待つこと」
次のお話は、養護学校の佐和さんです。高校2年生でしたが、小学生のように小さい子でした。
会社で用意したいちばん小さい安全靴もぶかぶかで、詰め物をしてはきました。
「口ばっかり達者で、学校では何もできない子なんです」
と、先生はおっしゃいました。
佐和さんの職場実習は、製品に部品を取り付けて、包装する仕事でした。「部品を取り付けるよ。まずドライバーを持って」
と言ったら、ドライバーに手が届きませんでした。
ドライバーの位置を下げましたが・・・
今度は手が小さすぎてドライバーをしっかり持てません。
ビス1本打つのに1日中失敗し続けました。
手が小さすぎてテープカッターもちゃんと使えませんでした。


周りの社員が、ドライバーの持ち方、テープカッターの持ち方を教えるのですが、手が小さすぎて、全然そのとおりに使えませんでした。
見ている私のほうがヘトヘトに疲れて、もうやめよう、もう別の簡単な作業に変えようと何度思ったことでしょう。
でも失敗しつくしてあきらめるまでやらせようと思いました。
その日1日終わって、私は明日少し様子を見たら、後は簡単な作業に変えようと決めて、現場にも予定変更を連絡しました。
ところが次の日、佐和さんは自分の工夫をし出しました。
手だけではしっかりドライバーが持てない彼女は、
手と体でドライバーを固定して、体ごとビスを打ちました。
テープカッターは両手で持って体を使ってテープをカットしました。
実習が終わるころには佐和さんの顔は自信があふれていました。
この実習で口だけでなく仕事も達者な佐和さんになりました。


佐和さんは失敗しつづけていたのではありませんでした。
佐和さんは挑戦しつづけていたのです。
そして、挑戦しつづける人に失敗という言葉はないのだと、
佐和さんは教えてくれました。
口が達者な佐和さんは私に向かってどんなにこう言いたかったこ
とでしょう。
「私を信じて!待って!」と。
私たちは何もできなかったのに、自分の力でがんばりぬいてついに乗りこえた佐和さんの姿に、
「佐和さん、よくがんばったね」
と言ったきり、胸がいっぱいになって私は次の言葉が出てきませんでした。


「人と人を結ぶもの」
この彼女は高校3年生だったゆみこさんです。
人との信頼関係作りがとても難しい彼女でした。
人間関係を作っていけるように、
毎月2日ずつ長期にわたって職場実習に来ていました。
いつもこんな顔で、居場所がないような、おびえたような顔をしていました。
仕事場では一度もまともに言葉を発することもなく、一度も笑うこともありませんでした。
現場では「この子は手に負えない」「こんな子の面倒は見られない」
と言っていました。
私は「彼女は自分をどうやって表現したらいいのかわからないのではないか。また、相手との距離感を測っているのではないか」と思いました。


私はそんな彼女だからこそ、
どうしても友だちになってみたいと思いました。
ミーコというあだ名をつけて、昼休みにはいっしょにお弁当を食べて、いつもミーコミーコと話しかけていました。
彼女は、「はあ」とか「ふん」とかそんな返事しかせず、
まともにコミュニケーションが取れませんでした。
月に2日しか会社に来ないので、それだけでは友だちになるのは難しいと思いました。
そこで、彼女に手紙を書くことにしました。


私はこんなことが好きで、いつもこんなことを考えているよ。
そんな手紙を書きました。
返事はありませんでした。
それから毎週手紙を書いていました。
書き続けた手紙は46通ありました。
それからミーコは、私にはいつも笑顔を見せてくれるようになりました。
一度だけ彼女から手紙をもらいました。
彼女が初めて、自分の言葉で自分の気持ちを伝えてくれたと思い、たった1枚の手紙がこんなに重たく思えたことはありません。
でもミーコにはやっぱりこの社会で働くことは難しく、今はどこか遠い施設で暮らしていると聞きました。
でも、ミーコが私にくれた笑顔と、私の前では驚くほど仕事をしていたその姿が、彼女の本当の姿だと、私は今も思っています。


「人の可能性」
私にはこんな夢もありました。
養護学校を卒業した人だけで、一つの職場を作ってみたい。
あるとき現場の社員にそんなことを言ったのです。
すると「それは最悪の場合や!」と言われました。
そうか、養護学校の子は最悪なのか・・・。
私は将来必ず夢を本当にしようと思いました。
木のパレットを修理する仕事をしている社員です。
養護学校を出たこの2人が、今立派にこの仕事をしています。
その職場に実習に来たのが、知的障害と自閉症を併せ持つという、高校3年生のたかゆき君です。
たかゆき君はこのパレット修理の仕事の実習に来ました。
8月の暑い5日間でした。


事前にたかゆき君のお母さんから、サポートブックが送られてきました。
私は、きっと彼も私たちのことを知りたいだろうと思い、会社のサポートブックを作って彼に送りました。
彼はそれが気に入って何度もながめていたそうです。
実習が始まりましたが、たかゆき君はよくわからない仕草をしたり、
講義中に大あくびをしたり、場違いなところで大笑いしたり、
仕事中に扇風機にあたったり、外をうろついたりしました。


障害ある社員たちが実習の担当をしました。
最初の2日ぐらいは、なかなか意思が伝わらず、重たい雰囲気でした。
社員は「くぎうちをやってみよう」「のこぎりで切ってみよう」と根気強く同じ声をかけ続けました。
3日めぐらいから意思がスムーズに伝わるようになり、たかゆき君は7種類の工具を使いこなし、4日めの午後にはくぎうち機という機械も使えるようになり、5日めには1枚のパレットを1人で修理するという、修了課題を難なくこなしました。


実習も終わって社員たちとお別れのとき、社員の一人が「ようがんばったな。自信持てよ」と言ったら、たかゆき君はふいにボロボロと涙を流しました。高校生なのに純真だなぐらいに、私は思っていました。
後でたかゆき君のお母さんからこんなお話を聞きました。


・・・・・
たかゆきは3歳のときまだ言葉がなく、私はいつかこの子の声を聞きたい
と、毎日同じことを何十回も声かけしていました。
この実習で、会社の方がそれと同じように、一つ一つの作業に、
「これをやってみよう」「これはできるかな」と、
5日間続けてくれているのを見て、胸が熱くなりました。
私は、たかゆきが感動して涙を流す姿を初めて見ました。
自閉の子には、そんな表現は難しく、18になるこの子にはもうそんなことはないのだと、私はあきらめていました。
人の心にたかゆきが動かされ、自然に涙が出たのでしょう。


私はたかゆきに言いました。
「痛いときだけ、涙が出るんじゃないよ。
嬉しいとき、お別れするのが寂しいときにも、涙は出るんだよ。
それはすてきなことなんだよ」
と。たかゆきが自閉症の診断を受けたとき、周りからは、
「早期療育が大事。3歳では遅すぎる」
と言われました。
「療育」で頭がいっぱいになった私は、たかゆきに無理やりいろんなことを教え込もうとしていました。
そんなある日私は気がつきました。
これはたかゆきのためではない。
私の自己満足のためにやっているんだ。
これからはこの子のペースで楽しくやっていこうと。
療育のスタートが遅れたことで、自分を責める気持ちもずっと消えたことはありませんでした。
でもこの実習で、素直に明日が信じられるようになりました。
・・・・・


私は障害のことは何も知りませんでしたが、お母さんの話を聞いて「人の可能性って、測り知れないなあ」と思いました。
でもその可能性も、私たちに「人を受け入れる力」がなければ、
一生埋もれたままです。
障害者支援というけれど、この子たちの光をさえぎっている、私たちが変わること。それが最高の支援だと、私は思います。


「子どもたちが教えてくれたこと」
私はコスモスが大好きです。
風にゆらいで頼りなげだけど、みんなで支え合って、またお日様に向かっていくのです。
コスモスを見ると、私の大好きな子どもたちを思い出します。
子どもたちは教えてくれました。
この社会はパズルみたいだねって。
人はそれぞれ、できること、できないことあるのだけど、
みんなが合わさって、一つの絵が完成するのです。
重要なピースとそうでないピースなんて区別はありません。
どのピースも同じ大切さを持っています。
この社会には易しい役割から難しい役割まで、いろんな役割が必要です。
だから、いろんな役割を担うために、人はいろんな違いを持って生まれてくるのだと思います。


パズルのピースのように、お芝居のキャストのように、みんながそろわなければ、この社会も完結しない。
その「ちがい」こそ、私たちが生きていく力なのだと。
だから誰が欠けてもいけない。
みんなで一つの命なんだと、私の大好きな子どもたちは教えてくれました。そして、それは私ひとりが知っているだけでは、取るに足らない小さなことです。


「ひとりひとりが大切で、すてきな存在だということを、世界中の人が当たり前に知っている世の中にしたい。」
               (「雪絵さんの願い」の引用です 森安)


だから、私は、この子どもたちが教えてくれたことを、みんなに伝えていこうと決めました。
・・・・・
この続きはまた明日にさせてくださいね。

かつこ



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