仏道の成就

やまぼうしの花(春)



やまぼうしの実(秋)





「崇信」誌(9月号)に載っていたお話しが、心に残りました。
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修行の場としての人生


「大涅槃を証する」(正信偈)とは
「ある人の生涯の意味が仏道の成就ということを目的にしたものであって、   それが達成された」
ということだと教わった。
その生きた姿として、私は晩年の出雲路先生を憶いおこした。
先生は病床にあって、
「専光寺(山代)に生まれたことがご縁となり暁烏先生にお遇いし、
そのおかげで仏法に遇うことを得ました。
もしそのことがなかったら、
たった六十二才で寝てばかりいなければならなかった身をうらみ、
暗い毎日を送るしかなかったと思いますが、
おかげさまで病状が悪くなっても、
それを静かに引き受けさせてもらうという、たしかな一日一日、
静かないわば寂光の中の一日とでも申しましょうか、
そうした日を過ごさせていただき、
寂光の中の日ぐらしをいただいています」
と記された。
先生は修行の場としての人生を成就され、
浄土に還られたのだ。
                 〜宮森忠利師の法話より〜