わたしの心に似合った世界に棲んでいる

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先日は磯長御廟にお参りするご縁を頂き、有難いことでした。


若い頃より仏教を学んでいた亡き義父が、
信の拠りどころにしていたのが聖徳太子であり、親鸞聖人でした。
よくよくお聴きした『世間虚仮唯仏是真』(せけんこけゆいぶつぜしん)
を、磯長御廟で心に憶っていたのでした。


今日は全休さんが、
   「世間虚仮」とは、
   わたしの心が映す汚れた世界のことで、
   汚いわたしの心は汚い世界を見、
   嘘偽りばかりのわたしの心は嘘偽りの世界を見るのです。
   わたしはわたしの心に似合った世界に棲んでいる。
と、私のために教えて下さいました。
有難うございます。
とてもわかりやすかったので、転載させて頂きますね。


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念仏のみぞまことにて

  煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
  よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、
  まことあることなきに、
  ただ念仏のみぞまことにておわします。
                      (歎異抄・後序 2)

 
「世間虚仮唯仏是真」とは、日本仏教の父として尊敬されている聖徳太子の言葉です。
「世間虚仮」とは、わたしの心が映す汚れた世界のことで、
汚いわたしの心は汚い世界を見、嘘偽りばかりのわたしの心は嘘偽りの世界を見るのです。
わたしはわたしの心に似合った世界に棲んでいる。


 わたしたちが棲む心の世界は、すべてのものがただ意味もなく生滅を繰り返すだけの無常の世界でしかないが、
仏はわたしたちに信心を廻向して、ありがたくも、
「ただ念仏のみぞまことにておわします」
ことを教えてくださる。
この身も心も、世間も「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと」、もし仏に出遭うことがなければ、この世はただの闇でしかない。
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