一条の光



北國新聞の今日の連載は、青木新門さんの〜いのちの旅〜でした。
これまでに直接お話をお聴きしていますので、
親しく読ませていただいています。
このような内容でした。



ああ、遠く宿縁を慶べ   
                 青木新門


先日、愛媛県松山市に隣接する東温市に住む松田一という人から画集が届いた。一度しか会ったことのない行きずりの人である。
送られてきた画集は「おふくろ」と題されていて、
鼻にチューブを差し込まれた痴呆症の老いた母のデッサン画を中心に、
飼っていた猫や犬の死の瞬間が描かれていた。
母親の絵の添え書きは
「母よ、欲望肥大の今の世に、あなたは清間の瀬音のように、
八十八ケ寺を打ち終えたように、
さわやかな真言の花を私の泥心にいつの間にか咲かせてくださいました」
とあった。


「袖振り合うも多生の縁」という諺があるが、
人生にはまさにその通りだと思えるような出遇いがある。
この諺にある「多生」を「多少」と間違って書いてあるのを時々見かける。
多少では、
袖が触れ合うと多かれ少なかれ縁が生じるという意味になってしまう。
それでは本来の意味を台無しにしてしまう。
多生とは仏教用語で何度も生と死を繰り返す「輪廻転生」の思想から成っていて、道で人とすれ違い袖が触れ合うようなことでもそれは過去の宿縁によるもので、すべては理由のないただの偶然でなく、
縁によって定められた必然であるとの考えに依っている。
松田一氏との出遇いも宿縁と言えるだろう。


具体的な生い立ちや生きてきた環境は全く違うだろうが、目指す道が同じだと何時かは同じ道を歩いていて袖が触れ合うことになる。
私が仏教に出遇うことになったのも宿縁以外の何ものでもない。


挫折を繰り返した果てに納棺夫になり、無明の闇の中を彷徨っていた時、
突然一条の光が差し込み、
その光の先に親鸞聖人が歩いておられたのであった。


聖人はその主著『教行信証』の総序で〈多生〉と〈宿縁〉の言葉を用いて、
仏法に出遇えた慶びを表しておられる。


「ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし、たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」と。
                         (抜粋)