心の闇

「わたしは若いころ、ずっと心の悩みと、苦しみを抱いて生きていた。
うわべは元気にふるまっていても、深い闇のなかに生きていたのだ・・・」
親鸞の声が、五木寛之さんの声となって聞こえてきました。


全休さんのブログも“心の闇”でした。
「仏とは光、光とは智慧智慧とは“仏がわたしを見る”ということです。物欲を貪り、性に卑しく、人と金に媚びて、他を害する悪意の蔵であるわたしの心の闇は、智慧の光に照らされて始めて見えてくる。
もし、心の闇が見えたら、智慧の起こると知るべし。」




新聞連載「親鸞」激動編(五木寛之・作)262 より転載しています。
稲田の草庵にて(13)



親鸞は、堀江義成のほうを見て、はっきりと答えた。
「おっしゃるとおりだ。わたしは仏像のような、また絵にえがかれているような阿弥陀さまには、お会いしたことはない。だが・・・」
と、親鸞はいった。
「わたしがかって学んだところでは、阿弥陀仏という名前は、梵語、すなわち天竺の言葉で、アミターバとも、アミターユスともよばれる仏さまだそうな。
それは漢語になおすと、無量光、無量寿となる。
無量光とは、かぎりなく天地を照らす光。
どんな暗い闇をも明るく照らす光明のこと。
また無量寿とは、かぎりない命のことをいう。
えらそうな話になったが、そういうことだ。
阿弥陀さまとは明るい光、かぎりない命のこと。
そして、わたしは若いころ、ずっと心の悩みと、苦しみを抱いて生きていた。
うわべは元気にふるまっていても、深い闇のなかに生きていたのだ」
「わたしは幼いころから、心に暗いものをかかえて生きていた。自分のなかには、恥ずべき放埓(ほうらつ)の血が流れていると感じていた。
わたしは、人一倍、煩悩のつよい人間だ。
それを隠して生きていたのだが、重い鎖をひきずって暮らしている心持だった。比叡山でどれほど修行をしても、だめだった。どんな苦しい行をしても、その心の闇は晴れることがなかったのだ」


親鸞は言葉をきって、しばらく黙っていた。
虫の声が急に大きくなった。
道場のなかの静けさが、いっそう深く沈んでいく。
「その心の闇の暗さ、重さにたえかねて、わたしは比叡山をおりた。
そして、身を投げるつもりで法然上人のもとに通った。
法然上人の言葉、その笑顔は、闇をかかえたわたしにとって、
はじめて出会う光のようなものだった。
ただ信じて念仏する。
そのことで、すべての人びとをわけへだてなく、
おおらかに照らす光がある。
その光は、とりわけ苦しみ多き人びと、嘆き悲しむ人びと、
不安におびえる人びとに、つよく、あたたかくそそぐ。
そのことを感じたときに、
長年のわたしの心の闇にかすかな光がさしはじめたのだ」