松林図屏風


講読の月刊誌最新号に載っている
「松林図屏風」を眺めていたら、
地元新聞連載、きょうの嵐山光三郎さん「ぶらり旅」が、長谷川等伯でした。



等伯は七尾に生まれ、実家は能登守護畠山氏の家臣で、
幼少のころ、絵師で染物屋を営む長谷川家へ養子として入りました。
七尾は私のふるさと、
何年か前の七尾美術館記念展では、本物の「松林図屏風」(国宝・東京国立博物館蔵)が公開され感動したものでした。
この作品は日本の水墨画の最高峰といわれています。
毎年行われる七尾美術館等伯展では、「複製 松林図屏風」(七尾美術館所蔵)が展示されます。



松林図屏風について
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「松林図」は50歳代の作と推定されている。文禄元年(1592年)等伯が祥雲寺障壁画(現・智積院襖絵)を完成させた翌年、息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっており、その悲しみを背負った等伯が、人からの依頼ではなく自分自身のために描いたとも言われる。
等伯の生まれ育った能登海浜には、今もこの絵のような松林が広がっており、彼の脳裏に残った故郷の風景と牧谿らの技法や伝統と結びついて、このような日本的な情感豊かな水墨画が誕生したとも想像されている。
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等伯の生まれ育った能登海浜には、
今もこの絵のような松林が広がっており・・・・。


あのあたりだなあ・・・、
羽咋市内の海沿いの松林が私の頭にも広がってきたのでした。