すべてを包みこもうとするおおらかさ

いよいよ山伏弁円の登場・・・・・。



新聞連載「親鸞」激動編 274(五木寛之・作)より転載しています。
 風雨強かるべし(7)


弁円は一瞬ためらったが、刀を鞘におさめ、
背中からおろして道場の縁側においた。
親鸞の態度や口ぶりには、どこにも作りものめいたところがない。
強がりの気配もなく、卑屈にへつらう表情もなかった。
自分に本当の害心がない、と指摘されたとき、
弁円は、あっ、と思った。
親鸞の命をうばう、と、そうきめてやってきたつもりだが、
自分に人を殺す覚悟はさだまっていなかったのだ。



「おすわりなされ」
と、親鸞は床にあぐらをかいていった。
その声には、弁円がこれまでにきいたことがないような温かさがあった。
「山伏、弁円と申す」
弁円は親鸞と対座して、かるく頭をさげた。
そんな自分が信じられないような気がした。
〈この男、おれとは器がちがう〉
弁円は正直にそう思った。
相手を威圧するのではない。
春風のように心をとろかす暖かさでもなかった。
いま目の前にいる親鸞がはなっているのは、
すべてを受け入れ、すべてを包みこもうとするおおらかさだった。
そしてそれは、人の性格からくるものではないだろう。
大刀を前にして、あれほど自然でいられたのは、
勇気とか、度胸とか、そういうたぐいのものとは、
まったくちがった何かのせいではないのか。


「いろいろわけはおありだろう」
と、親鸞はいった。
「しかし、わたしを殺しても、念仏は消えまい」
弁円は親鸞の顔をまっすぐ見ていった。
「われらは山中修験の功徳を世間の人びとに伝えて生きている。
病気平癒を祈り、家内安全、五穀豊穣を願う。
そのための呪文と、そなたたちの念仏と、どこがちがうのだ。
共に神仏への祈願であろう。
南無阿弥陀仏阿弥陀さま、すくってください、と念仏するのであろうが」
「念仏のことを、ふだんから考えておられたようだな」
「そうかもしれぬ」


「では、申し上げよう。われらがとなえている念仏とは、
依頼祈願の念仏ではない。阿弥陀さま、おすくいください、
と念仏するのではないのだ」