よかったさがし

フワフワと風に吹かれながらも、蜜を吸い続けていました。




かっこちゃんの今日のメルマガを読んで、
郁代も最期まで“よかったさがし”をしていたなあと想い出し、
涙が出てくるのでした。
一晩だけの入院になってしまって、
翌朝にはもう帰らぬ人になってしまったのですが・・・。


家族がそろったとき、
「みんなで食事しよう」と言うので、
お兄ちゃんが急いでコンビニから買ってきた弁当を広げました。
郁代はもちろん食べられず、味もわからないのに、
自分はひとさじずつ病院食を口に運び(味見するだけ)、
「ここの病院の食事、おいしいわ」
と言いました。


看護士さんが頼んだ薬をいつまでも持ってきてくれないと、
「こんなに待ってるのに、まだかなあ。
でも、若い人が多いから不慣れなんだね」
と看護士をかばうのを忘れなかったね。



第802号 「宮ぷー心の架橋プロジェクト」より転載しています。

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昨日の食べ物の検査で、お粥が食べれて、一月後にお粥が出てくるのが決まったときに、ああ、肺炎になったおかげだなあと思いました。
なぜって、ずっと続いていることを変えるということはやっぱり難しいと思うのです。
だから、肺炎にならなくて、検査がなかったら、
やっぱりドロドロのペーストが続いていることになったと思うのです。
ああ、本当に、どんなこともいつかのいい日のためにあるなあと思います。特別な宗教だけを信じているわけではないけれど、聖書の言葉通り、
神様のなさることは時にかなって美しいです。



毎日が終わるときに宮ぷーと「よかったさがし」をするのです。
昨日はうれしいことがいっぱいあったから、たくさん「よかった」がありました。
宮ぷーと私とゲームのように、「よかったこと」を順番に言い合います。
宮ぷーは昨日「けんさごうかく」と言いました。
本当にそうだね、おめでとうーと拍手をして、
私は「おかゆがでてよかった」と言いました。
それから宮ぷーは「リラン(新車)みれた」。
私が「満月が病院の窓からきれいにみれて、
色がいろいろ変わっていくのを楽しめたこと」。
宮ぷーは「しんしゃのにおいがかげた」。
そっか、お鼻も回復しているんだね。


「せんせいがごっくんがじょうずになったといっぱいほめてくださったこと」
宮ぷーが「かっこちゃんがけんさでいてくれた」と言いました。
「お天気がよくてよかった」と私が言うと、
宮ぷーは首をかしげて、次がなかなか出てきません。
「お天気が良くてよかった」「今日も宮ぷーが元気でよかった」と言って、よかったさがしは終わりました。
毎日毎日が、本当は幸せでいっぱいなのですね。
そのことに私はすぐに鈍感になるので、よかったさがしをすると、
ああ、本当に今日も幸せと思うのです。(抜粋)
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