稲田の道場

馬糞の辻で行われる競べ牛を見に行った幼き日の親鸞
怪牛に突き殺されそうになった彼は、浄寛と名乗る河原の聖に助けられる。
それ以後、彼はツブテの弥七や法螺房弁才などの河原者たちの暮らしに惹かれていった・・・
親鸞」(上)の始まりで登場した、あの頃出会った人たちが今日の「親鸞」では勢ぞろい?していました。黒念仏との戦いが終わったのです。
このあと物語は、稲田の草庵での『教行信証』の製作へと進むのでしょうか。
親鸞」はいよいよ終章に向かっていきますね。


新聞連載「親鸞」激動編 316(五木寛之・作)より転載しています。
 黒念仏の闇(22)


 その朝から数日たって、稲田の親鸞の道場に香原崎浄寛の一行がやってきた。顔に傷の痕がのこり、両手の指に副え木をした明法房も一緒だった。
そして、ましらの三次と、當麻をつれたツブテの弥七。
ちょうど親鸞を見舞いに訪れていた下総の性信房もくわわって、ふだんは静かな稲田の道場ににぎやかな笑い声が響く。
途中から酒をもって稲田九郎、こと頼重房もやってきて座に加わった。
親鸞はようやく床から起きあがったばかりだった。顔や腹には赤い傷痕がのこり、胸のあたりの骨も何本か折れたままだ。息をするのもつらい。(後略)
      


       





全休さんからのお便りは、「信楽」(『教行信証』信巻33)でした。
有り難うございました。
・・・・・ 
信心といえば誰もが「わたしが信ずる」と思います。しかし、「仏法には、無我にて候う」(蓮如)ですから、信ずる「わたし」がある限り、それは仏法にはならない。
仏法の眼目は無我、わたしの心ではない心を体験することにあります。

 わたしの心ではない心を体験すること、そのことが不生不滅の世界である浄土に往生することです。わたしの心が造った信心ではなく、こちらからではなくあちら側から与えられてくるところの心を体験すること、それを「信楽」といいます。
・・・・・