涙の国

鎮守の森




青木新門さんの連載〜いのちの旅〜から
抜粋転載させていただきました。




涙の中に死の真実がある
                      青木新門 

    

星の王子さま』に「涙の国って、ほんとうにふしぎなところですね」という言葉があるが、涙の中でしか感知できない真実がある。
平成九年に酒鬼薔薇聖斗と名乗る十四歳の少年が年下の子供を殺して首を学校の校門に置いた事件があった。
翌年、文藝春秋が少年を取り調べた供述調書を掲載した。
その調書の中で「君はなぜ人を殺そうなどと思ったのか」
という調査官の質問に対してA少年は次のように答えている。


「ぼくが小学校の時、大好きだったおばあちゃんが死んでしまったのです。
ぼくからおばあちゃんを奪っていったのは死というものです。
だからぼくは死とは何かどうしても知りたくなり、最初はカエルやナメクジを殺していて、その後は猫を殺したが死とは何かわからないので、やはり人間を殺してみなければわからないと思うようになったのです」


たまたまこの記事を目にしたとき、講演先で一冊の冊子を頂いた。
それは祖父の臨終の場に三日間立ち会った十七人の親族が祖父への思い出を綴ったものだった。
その中で私が最も感銘を受けたのは十四歳のお孫さんの文章だった。


「今まで、テレビなどで人が死ぬと、周りの人がとてもつらそうに泣いているのを見て、何でそこまで悲しいのだろうかと思っていました。
 しかしいざ自分のおじいちゃんがなくなろうとしている所で、
そばにいて、ぼくはとてもさびしく、悲しく、つらくて涙が出て止まりませんでした。
その時おじいちゃんはぼくにほんとうの人の命の尊さを教えてくださったように思いました」


同じ十四歳の少年の言葉に、
死の現場に立ち会った少年と、死を頭で考えた少年の違いがみられる。
祖父の臨終の場に臨んで人の命の尊さを感じた少年は死を五感で認識している。
おじいちゃんは黙って亡くなって逝ったのに、少年は命の尊さを感じている。


それに反してA少年は祖母の臨終の場に立ち会っていなかったため、
頭で死を知ろうとして「死とは何か」と殺人まで起こしてしまった。
絆を失った断絶社会を生むのは、親族の臨終に立ち会わないで死を頭で考えるようになったことが最大の要因ではないだろうかと思うようになった。

                    
                    北國新聞(11月29日)より