「帰去来」
青木新門さんの連載エッセイが最終回でした。
とても温もりのある一言一言が心に沁み、楽しみに読ませていただきました。
これまでどうも有り難うございました。
いのちの旅〜光に誘われて〜 青木新門
愚かな人間
最期の原稿に再度載せたい言葉がある。
科学的でない宗教は盲目である。
宗教のない科学は危険である。
この言葉はアインシュタインが広島に原爆投下されたことを知って発した言葉だとされている。
福島第一原子力発電所の事故にも当てはまる人類への警鐘の言葉である。
私は仏教ほど実証を重んじる宗教はないと思っている。
仏教の実証とは、悟りである。
(中略)
親鸞も『教行信証』証の巻に引用した『定善義』の言葉
「帰去来(いざ、いなん)、魔郷にはとどまるべからず。・・・」
現代語に訳せば
「さあ帰ろう、迷いの世界にとどまるべきではない。
はかり知れない昔から迷いの世界を生まれ変わりし続けてきた。
そのどこにも何の楽しみもなかった。
ただ嘆き悲しみの声ばかりである。
さあ帰ろう。、わがふるさと・浄土へ」
今月の10月再度インドを訪れ、仏蹟を辿りながら「帰去来(いざ、いなん)」と再度誓ったはずであった。
しかし帰国したら元の木阿弥となっていた。
そして親鸞の次の言葉で心の傷を癒すのだった。
「誠に知んぬ愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、
名利の大山に迷惑して、
定聚の数に入ることをたのしまず、
恥ずべし、傷むべし」
最後にそんな恥ずべき愚かな人間と二年間も旅を伴にしてくださった読者の皆様に感謝合掌して「帰去来(いざ、いなん)」とお別れしたい。
(北國新聞12月27日より抜粋)