「ありがとう」と言いたかった




「高齢者の終末期医療とケアについて、胃ろうなどの人口栄養や、人工呼吸器の装着は慎重に検討する」の記事を読み、
郁代の終末に起こった悲しい出来事を思い出しました。


病状が進んでベッドから動けなくなっても、自宅で友人に別れを告げていた郁代でしたが、夜間に呼吸困難となり翌日緊急入院しました。
手術後も通院していた病院ではなく、
訪問看護を受けていた緩和ケア病棟のある病院でした。


新たな主治医にも、今までと同じように、LIVING WILL(尊厳死の意思表示)を伝える郁代。
笑顔で話すその口調はおだやかでしたが、強い意志が感じられました。


「わたしがこれから言うこと、聞いてくださいね。
一番目 無駄な延命処置はしないで下さい。
二番目 苦痛を和らげるための治療は最大限にお願いします。
三番目 一切の生命維持措置はしないで下さい」


ところが入院の翌朝四時頃容態が急変、明け方亡くなりました。


急変後に病院で起きたことは、「あなたにあえてよかった」にはほとんど書いてありません。
この本のテーマではなかったから・・・。


急変した時、専門外とのことで当直医は一度も顔を出しませんでした。
新人の看護師が一人だけで「心電図モニターの装着」、
終始無言のままで、主治医と連絡を取り合うのが精いっぱいのようでした。



「どうして医師が来てくれないの?」
何度も訴え続けた私・・・



主治医が現れたのは夜が明けてからで、急変後3時間が経っていました。
死亡時刻は実態ではなく、医師の診断した時刻でした。



「一切の生命維持措置はしないで下さい」
と言ったから?
お盆休みで、人手不足だから?



後日私は担当医、病棟看護部長と面談しました。



「総合病院の中にいて誰にも相談できず、
誰からも声をかけてもらえず、
郁代と私は砂漠の中に放置されました。
何が起こったのか、医師に顔を出してほしかった。
“郁代さん”とひとことでいいから、看護師に声をかけてほしかった]



「郁代は最期に
『(病院のみなさん) ありがとう』
といいたかったのに・・・」



「ほとんどの総合病院では、
主任看護師が交替で一人、全病棟担当で夜間に配置され、
緊急事態にも対応できる体制だと聞いています。
是非そのように改善してください」





あの時起こったこと、思っただけで涙が出てきます。
書くのは辛いことでしたが、
書かないのはもっと辛いことでした。



「お母さん、もういいんだよ」
郁代の声が聞こえました。





1月29日  朝日新聞