「生まれてよかった」

郁代の「お別れの旅」は、シドニーから始まりました。
遠い旅のこと、
「ドクターストップ」をかけるかどうか、直前まで医師は迷ったのでした。


シドニー オペラハウス

2011年1月1日 私はここにいました




「これまで、お母さん、完璧やったわ。
必要なもの、必要なことが、いつも直ぐに用意されていたもの…」
郁代の最期の言葉でした。             「あなたにあえてよかった」より 
 


最期だとわかっていたから、


   郁代は言いました。
   「お母さんの子供に生まれてよかった・・・」


   伝えたいことを書き遺してありました。

    ・・・・・
    おとうさん おかあさんへ  


    わがままな娘でごめんね。
    いつもつっけんどんでごめんね。
    口が悪くてごめんね。
    心配ばかりかけてごめんね。
    親孝行できなくてごめんね。
    孫の顔、見せられなくてごめんね。
    おとうさん、おかあさんより先に死んじゃってごめんね。


    三十四年間という、少し短めの人生だったけど、
    おとうさん おかあさんのおかげで、
    楽しく、充実した、幸せな人生でした。

    
    子どものころから、のびのび自由に育ててくれて有り難う。
    わたしを信頼し、やりたいことをやらせてくれて有り難う。
    いつも心配してくれて有り難う。
    わたしのために、泣いてくれて有り難う。
    生んでくれて有り難う。
    おとうさん、おかあさんの子どもとして生まれてこられて、
    わたしはとっても幸せだったよ。
    本当に有り難う。
                         郁代
    ・・・・・


最後だとわかっていたから


    お別れの旅を続けました。


    郁代のお別れの旅1
    郁代のお別れの旅2


この「24時間テレビ」番組では、
時間の制約からシドニーへの旅は省略されています。
シドニーの友人には不満が残ったようでした。
「郁ちゃんが、あんなに辛い身体で会いにきてくれたのに・・・」と。