「愛しています」と伝えたい

「ありがとう」
「ごめんね」
「愛しています」
と伝えたい。


スコップ団花火の映像が見れます。
当日はライブ中継されていたので、わたしも見ていました。




3月10日に2万発の花火を打上げた、
スコップ団の平了さんの話、心に残っています。


・・・・・
去年の夏、多賀城で仕事をしていたら、突然、花火が上がりました。
その当時の私は、音楽を聴くことにすら葛藤があったころでした。
「花火か」と、複雑な思いで見上げると、
ひと組の親子が目の前に現れ、花火を眺めていました。

その親子は、「すごい」「きれい」と、歓声をあげていました。
そして、ただ静かに泣いていました。
私もそれを見て、知らず知らず泣いていました。

そのことで、花火には
鎮魂の意味があるということをなんとなく知りました。


避難所から初老の女性を車に乗せて、
私たちの倉庫にお連れした時の話です。
「主人とはケンカなんてしたことなかったの。」
「そうなんですか〜。仲良しですね。」
「うん。本当の意味でのケンカはありますよ?議論みたいな。
ちょっとした。それがなくなったら人はお終いでしょ?」
「はぁ。」
「でも、その日は、本当にくだらないことで意味のない感情上のケンカをしてしまったの。初めて。」
「はぁ。」
「彼は車で、すごいスピードで出て行っちゃって「行ってらっしゃい」も言わなかったし、行ってきますもなかった。
そのままぶつかって死んじまえ!って思っちゃったの。」
「・・・。」


「そのまま、あの人は、津波で死んでしまったの。
だからね、私の一番の後悔は、
食料や水を蓄えておかなかったことじゃないの。
懐中電灯もなにもいらない。
もし運命で彼が死んでしまう事が避けられないにしても、
愛していたって伝えたかったってことなのよ。」
「・・・。」


「あなたは、何でもしてくれる。本当にありがとう。」
「とんでもないです。」
「でもね、モノじゃないのよ?」
「分かります。分かってやってます。俺もそうだ。」
「私の想いを、いつか天国に届ける企画を立ててくれないかしら?」
「分かった。考えます。チカラもつけます。」
「その時は、私は元気だよって彼に伝えたい・・・。」


これがはじまりでした。
3月10日、泉ケ岳で
花火を上げることにしています。


いちばん忘れちゃいけないのは、
なんてことない、ほんとうになんでもない日々です。
幸せだったはずの、前の日なんじゃないかと思います。
だから3月10日に花火を上げたいのです。


人生とはほんとに花火のようなもので、どんと咲いて散ってしまう。


しかし、多賀城の親子の大切な人も、
避難所でお会いした女性の旦那さんも、
僕たちの大切な仲間も、
咲き切れないまま亡くなってしまいました。
そういう方々がたくさんいらっしゃいます。
だったらせめて、花火ぐらいはどんと咲かして、
私たちが元気でやっているということを、
天国に連絡したいと思っています。

東日本大震災は、2万人の犠牲者が出た1件の震災ではありません。
悲しい1件1件の事件が2万件も起きたのです。


僕たちはそういう認識をもってこれまで活動してきました。
ですから、この数字は絶対に譲れない。
絶対に2万発上げたい、と思っています。
・・・・・


「いちばん忘れちゃいけないのは、
なんてことない、ほんとうになんでもない日々です。
幸せだったはずの、前の日なんじゃないかと思います。
だから3月10日に花火を上げたいのです」



本当にそうですね。
これからは、
3月10日が“日本が一番しあわせだった記念日”になるのですね。




花火を企画したスコップ団の平了さんと糸井重里さんの対談  
「僕たちの花火の連絡見えますか」はこちらです。


平了(たいらりょう)さんのブログ です。