あるがままに

今朝の雪


婦人公論』最新号に大平光代さんの対談が載っていました。
親鸞の教えが響いた瞬間は?」との問いに、


・・・・
「じつは司法試験に受かった29歳の頃から『歎異抄』を何百回となく読んでいたのです。
しかし、その真髄についてはわかりませんでした。
教えが私のなかに入ってきたのは、それから10年経って大阪市の助役を辞めた直後です。当初、私のなかには
「一生懸命に改革しようとしたのはすべて子どもたちのためだ。
私利私欲はまったくないのに」と、
他者に理解されないことへの怒りでいっぱいでした。
その頃、友人の別荘に行く機会がありまして
山道を歩くと眼下に西日に照らされ水面がきらめいている琵琶湖が見える。
もっとよく見ようと近くの近江舞子駅のプラットホームに移って眺めていたとき、突然、
「煩悩具足の凡夫」
という声が聞こえたのです。
・・・・・


以前に読んだことがある鎌田實さんのブログ、
大平光代的生き方(2)比べないということ   〜読売新聞医療サイト ヨミドクター〜

が、深く響いてきました。 以下です。


大平光代の行動変容は、
組長の妻から弁護士へ、というセンセーショナルなものだけではなかった。


 4年前、先輩弁護士と再婚し、出産。兵庫の山の中で暮らしている。
せっかく弁護士になったのに、その活動は5%程度にとどめ、残りの95%を子育てに注ぎ込んでいる。


 子どもは、ダウン症という障害をもって生まれてきた。
生まれてすぐに心臓の手術をした。白血病の治療もしたという。


 そんな話を聞くと、どこまで苦難が続くのだろう、とつい思ってしまう。
しかし、違っていた。彼女は「幸せだ」とニコニコして言う。


 今年の正月には、黒豆や昆布巻きなど、お節料理を一つひとつ手作りした。
3歳になった子どもに、きちんと伝えるためだという。
机やいすも作った。
子どものために絵本も作っている。
ステンドグラスを手作りして、写真に撮り、1ページ1ページ作っている。
料理も、手をかけている。
家族を大切にしながら、丁寧に生きている。


 なんだか、やることが大胆だ。なかなか思い切った選択だと思う。
 だが、よく考えてみれば、きわめて大平光代らしい生き方だと納得できる。


 かつて司法試験を突破したとき、すべきことに優先順位をつけ、
そのことだけに集中した。
守るべき子どもを持って、その「すべきこと」の最上位が、子育てになったのだ。そのために、弁護士の仕事も極端に減らした。


 手をかけた丁寧な暮らしぶりは、同じ参考書を何度も何度も読んだという、粘り強い「繰り返し」と重なりあう。


 もちろん、夫と子どもという、心強いサポーターもいる。


 司法試験を突破するまでには、成功体験を積み重ねて「成功グセ」をつけた。
だが、その方法ばかりは、今回は役に立たなかった。
子育てにおいては、何が成功か、失敗かわからないからだ。

 彼女自身、母親との関係に苦しんできた。


 中学生のとき、いじめを苦に割腹自殺を図った。
傷が癒えた後、母親は学校に行けと言った。
つらかった。学校を変えた。
新しい学校で、「趣味は……」と自己紹介しようとすると、
うわさを聞きつけた男子生徒たちが「割腹自殺です」とはやし立てた。
新しい学校でも、いじめがはじまった。
それでも母親は、彼女さえがんばれば、問題は解決すると思っていた。


 母親は世間の目を気にして生きていた。
彼女が美容師の学校に行こうと思っても、中学卒業じゃ恥ずかしいと反対した。
何度も生きなおしたいと思っていた彼女は、母親にチャンスの芽を摘み取られたと思っていた。


 司法試験に合格し、大ヒットとなる「だから、あなたも生きぬいて」講談社)の原稿を書いているとき、書いてもいいかと母親に訊ねた。
母親は、全部本当のことを書いていい、と言った。
いちばん娘がつらいときに、母親がどういうことをしてしまったのか、
隠さずに書いたほうがいいとも言った。
母親も自分自身を悔いていたことがわかった。
このとき、彼女は、はじめて母親を許すことができた。


 今年1月、ぼくと共著で「くらべない生き方―人生で大切にするべき10のこと」中央公論新社)という本を出した。
そのなかに「許す」という章がある。
大平光代は、母親を許すことによって、過去の呪縛からすべて解放された。
自由になったのである。

 
その彼女が母親になって、今は障害を持つ子の成長を見守っている。
見守りながら、その子にはその子の、成長していくリズムがあることがわかった。ほかの子と比べても意味がないことを実感している。


 「比べない生き方をしたい」と、彼女は言う。


 行動変容の手法の一つに、モデリングというものがある。
成功例をお手本にして、真似をする。
これは、自分とお手本を比べるやり方だ。
だが、比べないということは、言うほど簡単ではない。
勇気がいる。
自分の子をほかの子と比べないということは、わが子に対して、絶対的な肯定が必要である。


 比べないことは、視線を自分の内側へと向けさせる。
深く内省することができる。
あるがままを認めることができる。


 大平光代は、子どものころからいじめられ、学校にも家にも居場所が見つからなかった。
人と比べられながら苦しんで、泥沼を這い回った。


 しかし、「比べない」と決めた瞬間から、すべてが変わった。
今の自分のいる場所が、かけがえのない居場所になった。
だれが何と言おうと、彼女は「幸せ」と言い切っている。


 比べる生き方から、比べない生き方へ――。
そこには、幸せに生きるためのヒントが隠されているようだ。
(2010年2月10日)


大平光代的生き方(1)成功グセをつける


     *大平さんは2003年12月から2005年10月まで、大阪市の助役に。
      就任中、中央仏教学院通信教育部専修課程を受講し卒業する。
      2009年4月、龍谷大学客員教授(任期1年)に就任。