しっかりと抱きしめて
仏教ブログ「大悲ものうきこと」より
煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり に遇わせていただき、
先日書いた「みかちゃんのお話」のお母さんの姿が、
「摂取の光明」「大悲」に思えました。
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高い熱があまり続いたので、みかちゃんはお母さんの付き添いで病院に入院しました。
みかちゃんの不安との戦いがあまりに大きかったので、入院した部屋は、外から鍵がかけられ、窓もとても小さい部屋でした。
トイレも中にあって、一日中その部屋から出ることができない状態でした。
入院と聞いてお見舞いに出かけ、職員の方に鍵を開けていただいて、中に入ると、又すぐに外から鍵がかけられました。
テレビも何もないその中で、お母さんは髪をタオルでしっかりとおおい、
みかちゃんをおふとんの中でしっかりと抱き締めておいでたのです。
お母さんは「こんな姿でごめんなさい。みかが髪をひっぱりたがるの
で・・・」とおっしゃいました。
私は、みかちゃんが私たちに求めていたのはこういうことだったのだと思いました。
みかちゃんを叱るのではなく、みかちゃんから逃げるのでもなく、みかちゃんとしっかり向き合い、髪にタオルをまいて、みかちゃんをしっかりと抱き締めて
「大丈夫だから、お母さんがそばにいるからね」
ときっとお母さんは言い続けておいでたのだと思います。
私はお母さんがしておいでることに感動しました。
そして(私にお母さんのようなことができるだろうか)と考えていま
した。
閉じられた中でテレビもない空間で、時間がこんなにもゆっくり過ぎる空間で、朝を迎え、夜を迎え、また朝を迎え・・・お母さんはもう十日もこうしておいでたのです。
でもお母さんはおっしゃいました。
「いつも淋しい思いをさせているけれど、病院に入っている間は、みかのことだけを考えて、相手ができるし、こんなにたくさん抱き締めてもやれるから、何も大変なことはないですよ。
これは神様が私に与えて下さった時間だと思います」
そして、お母さんはみかちゃんの辛い思いを考えては涙されておいでました。私はみかちゃんのお母さんは、みかちゃんの体を抱き締めながら、本当はみかちゃんの心をしっかりと抱き締めておいでたのだと思いました。
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(私にお母さんのようなことができるだろうか)
とおっしゃる山元加津子さんの“まなざし”もまた“大悲”そのもののようでした。
みかちゃんのお母さん、かっこちゃんが、
やさしい仏様のお姿と重なりました。
郁代の声となって毎日届けられる全休さん便り、
かっこちゃん便り、有難うございました。