幸せは、気づけばいつもそこにある



第1044号「宮ぷー心の架橋プロジェクト」 (2012年6月15日)
「幸せは、気づけばいつもそこにある」
から引用させていただきました。



さわさんからメールをいただきました。
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かっこちゃん、メルマガをいつも楽しみに読ませていただいています。
僕はずっとかっこちゃんに尋ねたいと思っていたことがあります。
僕は特別病気があるわけでもなく、障害があるわけでもなく、
仕事もしているし、家族もいますが、心の中に“もっと幸せになりたい”という気持ちをずっと持ち続けています。
幸せって何か、具体的にはわかりません。
出世なのか、宝くじにでも当たることなのか、どういうことを僕自身さしているのかがわからないのですが、
口癖のように「何かいいことないかなあ」と言ってしまいます。


かっこちゃんは、幸せそうで、楽しそうで、メルマガにも
「うれしい」「楽しい」「幸せ」
という言葉が毎日のように並んでいますね。
それを読むとこんな僕でも幸せな気持ちになります。
かっこちゃん、「幸せ」ってなんでしょうね。
なぜ満たされない思いがいつもあるのでしょうね。
自分でもわからないことを質問していてすみません。
これからも、メルマガ楽しみに読ませていただきます。
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さわさん、私も幸せのことすごくよく考えます。
私は書いてくださってるように、毎日本当に幸せだなあと思うし、毎日楽しいことやうれしいことがいっぱいだなあと思います。
さわさん、本当に幸せってなんでしょう。
生きていると、本当につらくてつらくて悲しくてたまらないこともありますね。
大好きな父が亡くなったときも、本当に悲しかったです。
そしてやっぱりさびしくてつらかったです。
そのあと、母と何度も話したのは「しかたがないよね」ということでした。
父が亡くなってしまったことはもうどうしようもない、仕方がないよねということでした。それから、友だちの宮ぷーが倒れたとき、亡くなってしまうかもしれないというときも、本当に悲しくつらかったです。
けれど、助かることがわかり、回復を始め、
父が亡くなってしまったことも、それは仕方がないことだし、
前へ進もうと思えたとき、父が亡くなったことも、宮ぷーが倒れたことも、やはり、そのこともいつしか日常になり、その中にも優しかった父を思う瞬間や、
宮ぷーが初めて、くしゃみをしたり、初めて、お腹がごろごろ動き出したりしたときは、やっぱりすごくうれしくて幸せだった。

どんな中にも必ず幸せはあるんだなあと思いました。
さわさん、私、思うのです。
たとえば、出世ができたり、宝くじが当たったら、
それは、きっとうれしいし、そのときは幸せ。
でもそのことも、毎日が過ぎていけば、それが日常になると思うのです。
そして、気がつけば、そのこと自身が幸せなんだと思えるのかなあと思うのです。


幸せが何かを知りたくて書かれた本はたくさんありますね。
たとえば、「星の王子さま」もそうかなあと思うのです。
何が幸せなのか、大切なことは何なのかを求めて、星を旅する王子様が気がついたことは、自分の星の中にあった日常だった。
心をこめて、世話をした火山やバラの花のいる星へ帰ろう、
自分のいるところはそこだったと王子様は気がついたのかなと思うのです。


宮澤賢治さんがずっと求めていた「幸い」はどうなのでしょうか?
銀河鉄道の夜」には、「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。
けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう」
「僕はもうあのさそりのように、ほんとうに皆の幸のためならば
僕の体なんか百ぺん灼いてもかまわない」
と言っています。
宮澤賢治さんはきっと自分だけが幸せになるなんてことはなくて、
私たちはみんなで幸せになるために進んでいるんだって、
そういうことを思っているのかなあとそんなことを思います。


今これを書いているときに、りさちゃんというお友達から、
ひかりちゃんの写メが届きました。
そして、ああ、りさちゃんとひかりちゃんもまた、幸せについていつも教えてくれているなあと思うのです。
このお話は「ありがとうの花」(三五館)の中にあるお話です。


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 大分での講演会でサインをさせていただいているときのことでした。
一度サインをさせていただいたのに、あるご夫婦が今一度戻ってこられて、遠慮がちに、私に質問があると言われました。


おっしゃった言葉は奥様が
「家にダウン症の赤ちゃんが生まれました。
かっこちゃんにとってダウン症の子どもさんはどんな存在でしょう?」
と言われました。
私は大好きな学校の子どもたち、ダウン症の子どもたちの笑顔を思い出して、それだけでうれしくなって、
「天使のような笑顔でまわりを幸せにする、優しいお子さんたちです」
と、お話ししました。
そして、先日いただいたダウン症などのお子さんの可愛い写真がたくさん載った本をお知らせしたいなあと思いました。
その本はお友達が送ってくださって、あまりに素敵だったので、学校に寄贈したので、お渡しはできなかったのですが、あとで、学校で本の題名を調べて見て、その方にお知らせをしたいと思いました。
 その本には、ダウン症のお子さんの写真に添えられたお父さんやお母さんや兄弟のみなさんの、温かい言葉があふれています。
たとえば、「差別はいけません」みたいな言葉では少しも伝わらないことが、この愛でいっぱいの本を見られた方が、
きっと読まれたあと大切なことに気がつかれるに違いないと思うのです。
たとえば、ああ、なんて可愛い。
なんて素敵な愛でいっぱいの子どもたちだろう、
と感じるに違いないと思うのです。


 りささんからのメールです。
〈かっこちゃん、今日のメルマガは泣きました。
自分に今必要だから届いたメールに思えてなりません。
 赤ちゃんがほしいと思いつづけて、ようやく一五年の年月のあと、四月に生まれた赤ちゃんはダウン症の女の子でした。
私がほしかったのは、ダウン症の子どもじゃない。
誰もが羨むようなかわいらしくて、利発で、スポーツができて、
一緒に連れて歩いても誰もが振り返るようなかわいい、きれいな赤ちゃん。
子どもがお腹にいる間には、赤ちゃん雑誌を何冊も購読し、洋服を準備し、早期教育教室を探すことにも余念がありませんでした。


 私がどんな悪いことをしたというのでしょう? 
なぜこの私がダウン症の子どもを育てなければならないのか?
 私が思い描いてきた未来はどうなるの? 
どれだけ泣いても受け止めることができませんでした。
 けれど主人は、すごく光をかわいがっています。
かわいい、かわいいといつも抱き上げて、
ほら笑った、ああ泣いた、おむつが濡れた、と世話をやいてくれます。
そして、光や主人につらく当たる私のことを、主人はただの一度も責めないのです。
そんな主人を見ることすらつらくて、たまりませんでした。


 かっこちゃんは書きました。
「この愛でいっぱいの本を見られた方が、ああ、なんて可愛い。なんて素敵な愛でいっぱいの子どもたちだろう、と感じるに違いないと思うのです」と。
そして、光は私たちを選んで生まれてきてくれたんだと。
かっこちゃんはそう今朝のメルマガで書いてくれました。

 かっこちゃん、馬鹿げたことと思うかもしれませんが、言います。
「かっこちゃんは私のために、光のために、これを書いてくれたに違いない」と、そう思いました。
まだメルマガを読んで五時間です。
それなのに、私の体の細胞の中の何かが変わりました。
恐ろしい勢いで変わりました。


 光を見たら、私を見て、にっこり笑いました。
この笑顔を、私はちゃんと見ていただろうか? 
初めて光をかわいいと思いました。
そう思って見たら、本当にかわいい顔をしているのです。
抱き上げると頼りなげで、こんな私を見てニコニコ笑うのです。
抱きしめると柔らかくて涙があふれました。
白い肌、長いまつげ。
よく見れば私にも主人にもよく似ています。
この子は私と主人に会いたくて、私たちのところに来てくれたんだ。
 赤ちゃんが生まれたら着せようと用意したピンクの服を着せる気持ちにもなれなかったのに、出してきて着せたらとてもよく似合いました。
主人に写メを送りました。
「光はピンクがよく似合うよ。ほら、かわいいでしょう」
という文章をつけて写メを送りました。


 かっこちゃん、主人がね、仕事中なのに帰ってきてくれてね、私を抱きしめてくれたんです。
「光と幸せになろうな」と。
主人は私の気持ちが必ず落ち着いてくれると知っていたそうです。
私を信じていてくれたそうです。
 かっこちゃん、私の遺伝子の中にある「大好きはうれしい」をONにしてくれてありがとう。
今も自分の中の変化に戸惑うけれど、そばには私を見て、笑う、私たちの娘・光がいます。
 昨日の講演会に来てかっこちゃんに「ダウン症の子どもが生まれた」と話をしてくれたご夫婦の方に心から感謝します。
すべて必要で起こったと今わかります。
 光の写メ、かっこちゃんに送ります。
私の大切な可愛い光を見てもらいたいです。
信じられません。今はなりたての親バカです〉
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りさちゃんとひかりちゃんとご主人は、毎日
「うれしくて、楽しくて幸せ」
な日を送られています。
りさちゃんは言います。
「光が生まれたときに、こんなに不幸なことがあるだろうかと思った。
その思いがものすごく強かったからこそ、
今の幸せが何十倍にも感じられます」と。
きっと本当に幸せはいつも自分の手の中にあるのです。
そして、誰もが本当は幸せなのだと私はやっぱり思います。