「不二いのち」
たまたま、内山興正師の動画に出会いました。
全休さんの仏教ブログでよくお目にかかる方です。
お顔を拝見し、ご本人の声をお聞きすると、
これまでの法語がとても親しく感じられてきました。
内山興正 「不二いのち」
〜純粋自己の畢竟帰〜
平成9年3月29日
老い最後
生死一つのいのち知る
生と死でなく
生死(しょうじ)一つの
分け別ける
思い手放し ただ拝む
不二のいのちの
いのちのままに
動画をみせて頂いた後、
いつものように全休さんのブログを拝見しましたら、
まさに「内山興正老師の言葉」だったので、とても驚き、感動しました。
・・・・・
彼(曇鸞;引用注)が樹の上で修行しているところへ、
たまたま仏教学者(菩提流支三蔵;引用注)が通りかかった。
「そこで、何をしているのか」と声をかけた。
「ご覧のとおり、神仙の修行をしている」
「修行をしたら、どうなるのか」
「俺か」と彼は言い、胸を張って言葉をつづけた。
「二百年、生きることができる」
どうだ、恐れ入ったか、という顔をしたのであろう。
が、仏教学者は、すこしもおどろかず、
「ほほう、二百年か。では二百一年目は、どうなっている?」
それを聞くなり彼は思わず樹上から転がり落ち、
二百一年目について教えを乞うたという。
(内山興正著『独りで歩け』より)
・・・・・
不思議な出会い、有難うございました。