「生かされていた」私  仏の声を聞く 1




“こころの時代”でお聞きした、
東井義雄先生のお話に出会え、うれしく思いました。
ご本もよく読ませていただきましたが、
温かくて、とてもわかりやすく心に残っています。


「仏の声を聞く」から引用させて頂きました。

 
                東光寺住職  東 井(とうい) 義 雄
一九一二年(明治四五年)兵庫県但東町に生まれる。
一九五九年相田小学校長、以来四十年間に渡る教員生活を終える。
一九九一年(平成三年)逝去。「ペスタロッチー賞」「小砂丘忠義賞」「正力松太郎賞」「平和文化賞」「教育功労賞」など受賞多数。                                 
                        ききて 笠井三根夫


(前略)
笠井:  若い時の血気にはやった、そういう無神論に走ったわけですね。しかしそれを「これではいけないんだ」という目覚めと言いますかね。  
東井:  なかなかその目覚めがこなかったわけですが、教員になって五年目でございました。高等小学の生徒を担任していました。
授業を終わった時に、その生徒たちに「何か、質問はないか」と申しました時、北村君という凄い子がいました。
北村君は、貧しい母子家庭の子どもで、小学三年の時から、八年間毎朝三時半に起きて、豊岡の町中を新聞配達し、終わると勉強、朝食を済ませて登校、学校が終わると、とんで帰って、町中、夕刊配達している子でした。
その子どもが「はい!」といって挙手します。
「北村君、なんだ」と申しますと、
「先生、あぁあっ―っと口を開けると、喉の奥にベロッと下がった―僕らが〝喉ちんこ〟と呼んでいるものがありますが―あの〝喉ちんこ〟は、どういうはたらきをしているのですか?」
と質問するわけです。
「北村君、すまんけど、先生、知らんわい。
今夜帰って調べてくるからな。明日まで答え待ってくれや」
としか言いようがございません。


その日、学校の図書の中から人体に関する書物を風呂敷いっぱい借りて帰りまして、下宿に帰って調べておりましたら、夜中過ぎ、やっと解りました。〝喉ちんこ〟―本当の名前は、「口蓋垂(こうがいすい)」と言うんだそうです。どんな働きをしているのか、と申しますと、
食べ物を飲み込むとき、喉の奥で気管と食道と道が岐(わか)れているわけです。その岐れ道で、食べ物が気管の方に進むと窒息してしまいます。
そういうことにならないように、口蓋垂がビタッと気管の入り口を蓋する。その御蔭で間違いなく食べ物が食道に進み、胃袋に入っていく、ということが分かったんです。


それが解ったとき、天地がひっくり返るほど、ショックを受けました。
そのはたらきを知らぬくらいですから、一度も感謝したことなどありません。お礼を言ったことも、もちろんありません。
それどころか「喉ちんこ」のことひとつ解っていないくせに「唯物論」だとか、「無神論」だとか、偉そうなことを言い、「傍若無人」に生きてきた私でした。
「俺が生きてやっているのだ」
という顔をして生きている私のために、生まれてお乳を飲み始めたその時から、働き詰めに働いてくれているものがあった。
気がついてみましたら、口蓋垂だけじゃないんですね。
「目」があって見ることができることも、
「耳」があって聞くことができることも、
「呼吸」や「心臓」が昼夜無休ではたらき続けていることも、
みんなみんな、ただごとでない、不思議きわまることであったのです。


「生きている」とばかり思っていた私が「生かされていた」のです。
私が頼んでやって貰っているわけではありません。
「私のために生かさずにはおかず、という大きな願いが、働き詰めに働いている。これが仏さまだったんだ」ということが分かった時、
どうにも頭が上がらなくなりました。
その時、ハッと思い出しましたのは、それまで何気なく読んでおりました、お『正信偈』の、


凡聖逆謗斉廻入 (凡・聖・逆・謗(ほう)、斉(ひと)しく廻入(えにゅう)す                      ること)
如衆水入海一味 (衆水の海に入って一味なるが如し)
                      (親鸞正信偈」より)


「凡」は、(ほんとうのことは、何もわかっていない愚か者の私のこと)。    「聖」は、(唯物論のほんのひとかけらをかじって、無神論をふりまわしたりしている思いあがった私のこと)。
「逆」は、(生かされていながら、生かしてくれているものに尻を向けていた私のこと)。
「謗」は、(生かしてくれているものに逆(そむ)くばかりか、それを謗る罪を敢えて犯していた私のこと)が、
わけへだてなく、「斉しく」、ちょうど、どんな荒れ狂う川の水も、汚れた水も、摂(おさ)めとっていく海のように、必ず摂取される世界があったのです。
その世界のど真ん中に、私は生かされていたのです。
逆(そむ)いているときも、謗(そし)っているときも「み手のまんなか」であったのです。
これが「仏さまだった」ということが分かった時、逆いていた私が、仏さまの「み手の真ん中」で逆いていたに過ぎなかったんだ、ということが分かった時、どうにも頭が上がらなくなりました。


そのことがありまして、間もなく、私に初めて授かった女の子―赤ん坊が、お医者さまから
「お気の毒ですが、赤ん坊のこの病気は、百人中九十九人は助からぬといわれているものです。今夜一番の命を、私には保証することができません」
と言われた晩、小さい赤ん坊の脈を握っていると、脈がだんだん消えて分からなくなります。
いよいよ親と子の別れの時がきたのかと思っていると、
ピクピクッとかすかに、脈が甦ってきます。
「ああ、嬉しい」と思う間もなく、また脈が消えていきます。
そんなことを繰り返しながら、夜中の十二時を知らせる柱時計の音を聞きました時、「ああ、とうとう今日一日、親と子が揃って一緒に一日を過ごさせていただくことができた。
今から始まる新しい今日も、親と子が、揃って、一緒に、生きさせて頂けるのであろうか」と思いますと、
私たちが、「自分の力で生きているように思っていますけど、生かしてくれている大きな働きの中に生かされていた自分だった」ということがいよいよ頭の上がらない思いで頷きはじめたわけです。
その赤ん坊は、お医者さまの必死のお手当によって、百人に一人の不思議ないのちをいただいて、大きくなってくれました。


近頃気が付かせて貰ったんですけど、『観無量寿経』に、  
諸仏如来是法界身 (諸仏如来は是(これ)法界(ほっかい)の身(しん)なり)
入一切衆生心想中 (一切衆生の心想(しんそう)の中(うち)に入り給う)
                      (「観無量寿経」より)
 

というお言葉があるわけです。
私たちの心や想いの中におはいりくださって、「苦」を超えさせてくださる、衆生をお救いくださるのです。
この言葉から頂いていますと、私が、「御手の真ん中であった」ということに気付いたのではなくて、「気付かせてくださった」という。
仏さまというのは、そういうお働きをなさっているわけですね。