仏さまの願い  仏の声を聞く 2



きのうの続きです。
                 東光寺住職  東井義雄                        
                 ききて    笠井三根夫


最近、評判の書物が出ました。
此処に持ってきているわけですけども、
北海道の鈴木章子(あやこ)さん
(昭和十六年、北海道留辺蘂(るべしべ)町生まれ。
昭和三十九年結婚、真宗大谷派西念寺坊守となる。
昭和四十二年斜里大谷幼稚園創設、副園長。五十二年園長。六十三年没)の


『癌告知のあとで』という書物です。


鈴木さんが、癌を病まれまして、気づかれたことをノートに書き留められたものが、書物に纏められたわけですが、その副題に「私の如是我聞(にょぜがもん)」―私はこのように聞かせて頂いた、という形で記録なさっているわけです。
私が気付いたのではなくて、仏さまがこのように聞かせて下さった。
この書物の中に、「四十六歳」という詩があるんです。
 
     
     「四十六歳」

 
     死の問題は
     今始まったのではない
     生まれたときから
     もう始まっていたのです
     点滴棒をカラカラ押して
     青白い顔に 幼さを残して歩く
     九歳の少年に・・・
     母親に抱かれ 乳を吸う力もない赤ん坊の
     さげられた管の数々に・・・
     気がつけば
     私 四十六歳
     ありがたい年齢だったのです

 
この人生の一大事を考えさせて頂く、一番有り難い年令に癌を頂いた、と。 ほんと言いますと、可愛い一人のお嬢さんと三人の坊ちゃんがあるわけです。 お子さんのことが気に掛かろう。
四十六歳と言いますと女の盛りです。
「四十六歳という若さで」という嘆きになるところが、
「御蔭様で四十六歳で癌を頂いた」という喜びを歓んでいらっしゃる。
それから、これは私への手紙の中にあったんですが、

 
癌を得てから、私は、主人と寝室を別にしてもらいました。
癌につきあってもらっていたら、主人のからだが壊れてしまうからです。
このことを、私は「おやすみ」という詩にしました。

 
     「おやすみ」

 
   「お父さん ありがとう またあしたあえるといいね」
   と手を振る
   テレビをみている顔をこちらに向けて主人が
   「お母さん ありがとう またあしたあえるといいね」
   と手をふってくれる
   今日一日のしあわせが 胸いっぱいに あふれてくる
   そして 朝は
   「お父さん あえたね」
   「お母さん あえたね」と
   恋人同志のような暮らしをしています
   振りかえってみると
   この四十六年間 こんなあいさつを
   一度だって したことがあったでしょうか
   みんな
   がんをいただいて気づかされたことばかりです

 
と書いていらっしゃるわけです。
人間の普通の思いではない如来さまが、こんなふうに気付かせてくださった、という喜び方なんですね。

 
笠井:  「癌を頂いた御蔭」こういう言葉は出ないですね。

 
東井:  ほんとに凄いなあ、と思うわけですが、ところが鈴木さんはお寺に生まれられて、お寺に嫁がれたわけです。
子どもの時から仏法にご縁があったわけですね。
ところが如来さまが、「一切衆生の心想の中に入り給う」というのは、
ただ、「特別の人だけではなくて、仏法にご縁のある人も、無い人も、すべて一切の生き物に対して生かさずにはおかん、という願いや働き、これが如来さまの仏さまの願いであり働き」なんですね。

 
笠井:  そういう感動的なお話ですが、そういう一般の人でも、という例はあるんですか。

 
東井:  一般の人どころか、有り難いな、と思いましたのは、私の県の神戸に視力の全然ない子どもや視力の薄い子どものための盲学校があるわけです。その学校の全然見えない六年生の男の子のことを聞かせていただいたことがあります。
 

「先生、そりゃ、もし見えたら、真っ先にお母ちゃんの顔が見たいわ。
でも、もし見えたら、ぼくなんか、あれも見たい、これも見たい、ということになってしもて、気が散ってダメになってしまうかもわからへん。
見えんかて、別にどういうこともあらへん。
先生、見えんのはそりゃ不自由やで。
でも、ぼく、不幸や思ったこと、いっぺんもあらへん。
先生、不自由と不幸は違うんやな」

 
といったというんです。
大好きなお母さんの顔さえ見たことない、光のない世界を生きている子どもです。
でも、何という明るさでしょうか。
如来さまの大悲は、この子の思いの中に割り込んで、どうかしっかり生きてくれ、と励ましていらっしゃるんです。
不自由ではあるけど、不幸じゃない。
「不自由と不幸は違うんだ」と、六年生の子が先生にいっているんですね。この子が仏法にご縁があってかどうかは分かりませんけれども、こういう子どもにまでも、仏さまのお働きは行き渡っていらっしゃるんだなぁ、ということを思わずにはおられません。

 
笠井:  そういうふうに私たちは、自分の意志の力と言いますか、自分の考えと言いますか、そういったもので仏の境地というと言い過ぎかもしれませんが、それに少しでも近付くということが可能なんですかね?

 
東井:  さっき申し上げました鈴木章子さんですけれども、初めは乳ガンからスタートしまして、左の肺に転移した。
それが四十六歳です。
右に転移して、両肺散弾銃を撃ち込んだように全体がダメになって、子宮卵巣に転移して、最後は頭にきました。
脳手術のために、頭がくりくり坊主にされたと言います。
亡くなられる二十日ばかり前のことだそうですが、ご主人からのお手紙によりますと、
 

脳手術のために、クリクリ坊主になった自分の頭を指さして、
 
   
   臨終は 私の 卒業式
   そして
   お浄土の 入学式
   わたし
   お浄土の一年生よ

 
と笑ってみせてくれました。 
とお手紙の中にあるんです。
生かさずにはおかん、というこの仏さまの願いは、死が目前に迫っても、
ビクともしない世界を恵んでくださるわけですね。


鈴木さんの場合だけではなくて、ここに私は、ちょっと手に入らない冊子 『甦った人―ある死刑囚の証したこと―』を頂いたんですが、
これはまだ若いのに死刑囚として受刑された久田徳三(ひさだとくぞう)さんのことを書いた冊子なんです。
小学校、中学校とも大変出来が悪くて、学校を出ましても少年院に送られたり、出して貰ったり、を繰り返したようですが、とうとう死刑囚として投獄されて、教誨師(きょうかいし)さんとの出会いをご縁に、人間に生まれたということが、こんなに素晴らしいことであったか、ということに「大いなるいのち」に目覚められたわけです。
いよいよ最期の日は、お別れの式があるんだそうですが、
お別れの式の行事がすべて終わりました時、拘置所長さんが一本のタバコをくれると言います。
大抵の死刑囚の方は、その一本のタバコをゆっくりゆっくり、出来るだけ時間をかけてゆっくり吸うそうですが、どんなにゆっくり吸っても、すべてが灰になって地に落ちる時がきます。
その時、「それでは・・・」ということになって、カーテンの向こうの十三階段を上っていく、と書いてあります。
久田さんも、そのタバコを貰う時を迎えてしまいました。
ところが、久田さんは、「久しぶりのおタバコ、まことにありがとうございますが、久しぶりのタバコによって頭がぼんやりしておりましては、せっかく尊い世界に生まれさせて頂くのに、申し訳ございませんから・・・」
とタバコをことわって、係官の方々が感動されるような確かな足取りで、十三階段を上って、最期を遂げられたんですね。
仏さまの願いは、死刑囚の方のうえにも、必ず見事に生死の一大事を越えさせずにはおかんぞ、という願いが働いていらっしゃる、ということでしょうね。
久田さんも、「死」が「苦」にならない世界をいただいておられるようです。

 
笠井:  そういうことを「生きてよし、死してよし」ということなんでしょうかね。
 

仏の声を聞く 1