〜金子みすゞさんのまなざし〜(その3)

昨日に続いて、「ひろげよう人権」よりお借りしました。(了解済みです)


金子みすゞ記念館館長        矢崎節夫
   「みんなちがって、みんないい」〜金子みすゞさんのまなざし〜
                             (その3)


☆はっと気づくこと、佇むこと☆



 みすゞ仲間のひとりに、小田原でクリニックをしている山田洋介さんというお医者さんがいます。
先日、お宅へおじゃました時、大きな古い時計がカチコチ時を刻んでいました。以前はなかったので尋ねると、おじいさんの時代のもので、動かずに、長い間しまってあったそうです。
それが動きだすには、こんな話がありました。


 ある夜、クリニックから帰ってきて居間でゆっくりしていると、テレビから歌が流れてきた。30年代のなつかしい歌でした。
いくつか聴くともなく聴いていて、えっ、と驚いたそうです。
 「その歌は『大きな古時計』という歌でね、聴いていて、えっ、それちがうんじゃないの。
いまはもう動かない、と歌っているけど、そうではなくて、動かさないんじゃないの」と思ったというのです。


 この、えっと思うこと、はっと気づくことがすばらしいのですね。
あの歌を聴いて、「ああ古いから、もう動かないんだ」と誰もが考えてしまいがちのなかで、
動かないんじゃなくて、動かさない。
壊れているなら直せるのではないか、と気づき、佇める、
こんな友人を持って倖せだなとつくづく思いました。 
いま、山田さんの手で直されたおじいさんの時計は、カチコチ時を刻んでいます。
「時計が動いた時、祖父の止まっていた心臓も再び動きだしたようで、祖父が生き返った気持ちがしてうれしかった」と語っていました。


 上の雪や下の雪は気づけるけれど、中の雪にはっと気づき、佇める人は少ないでしょう。
人権とはいのちの権利ですが、なにげないことにはっと気づき、
佇(たたず)むことといってもいいのではないでしょうか。



☆あなたはあなたでいいの☆




「みんなちがって、みんないい」
誰もがずっといってほしくて、誰もいってくれなかったことばです。


 「みんなちがって、みんないい」とは、一人一人がそれぞれに光輝いている大切な存在だということです。
そして、「みんなちがって、みんないい」とは、
あなたはあなたでいいのが最初だということです。
私は私でいいんだは後です。
私は私でいいんだから初めてしまうと、好き勝手でいい、人をいじめても、傷つけても、殺してもいいんだになってしまいます。
これは「私とあなた」のまなざしです。
自分中心、人間中心のまなざしです。
みすゞさんのまなざしは、「あなたと私」ですから、
あなたはあなたでいいのが最初です。


 こんなうれしいことばを、大人は自分の行動の正当化や失敗をごまかすために使いがちです。
例えば、私がみかんを三つずつ割けるとして、自分の方に大きいみかんを三つ置くと、友人がいいます。
「ずるいな、君の方が大きいじゃない」すると私は待ってましたとばかりにいうのです。
「みんなちがって、みんないいんじゃないの」


 じつはこの時、「みんなちがって、みんないい」をいっていいのは、
友人の方なのです。
「ごめん、君のと交換しようよ」と私がいった時、
友人が「いいよ。みんなちがって、みんないいのだから」と。


「みんなちがって、みんないい」は自分自身に使う前に、まずあなたの方にむかって使うことばなのですね。


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