〜金子みすゞさんのまなざし〜(その2)

昨日に続いて、「ひろげよう人権」よりお借りしました。(了解済みです)


金子みすゞ記念館館長        矢崎節夫
   「みんなちがって、みんないい」〜金子みすゞさんのまなざし〜
                             (その2)

☆こだまし、うなづくこと☆




 かつて、私たちのそばにいてくれる大人はきちんとこだましてくれました。ころんで、「痛い」といった時は、
「痛いね」ってこだましてくれました。
だから、痛みは半分になることができました。
祖父母たちはもっと上手に、
「痛いね、痛いね、かわいそうだね、ああ、痛いね」と、
何度も何度もこだましてくれて、
痛さを半分に、半分に、半分にしてくれた後に、
「泣くのやめようよ」「がまんしようと」と、
こちら側の、自分のいいたいことをいいました。
ですから、きちんとこだましてくれる大人がいた時代は、誰のこころの中にもある、さびしさや悲しさやつらさという器をいっぱいにすることなく、
この世を去れるようになっていました。


 しかしいま、私たちはこだます大人でしょうか。
我が子がころんで、「痛い」といった時、
「痛くない」「泣くな」といっていなかったでしょうか。
少なくても私自身を振り返ると、
「痛くない」「泣くな」といってきた、そんな気がします。


 このおとうさんなら、このお母さんなら愛してくれる、
と思って生まれてきてくれた我が子です。
その子の痛さを一方的に否定し、一方的に励ました時、
その子の痛さは一度も受け入れてもらえずに、
そのままこころの中のさみしさや悲しさやつらさという器に押し込めるしかなかったのです。



☆誰もがいてくれるだけでいい☆



 「土」を読むと、地球にやさしいといってきた私たち人間は恥ずかしくなります。
地球というお母さんの最後の子どもである人間だけが、地球というお母さんを傷つけてきたのです。
そして、これ以上傷つけたら人間の生存が危くなる、と気づいたとたん、
地球にやさしくしようなんていっているのです。
本当は、こんなにお母さんである地球を傷つけてきたのに、いまだに置いてくれているほど地球というお母さんはやさしいのです。


ですから、地球にやさしいのではなく、地球はやさしいと気づくことから21世紀は始まるといっていいでしょう。


 地球というお母さんにとって、地球上のすべてのものは存在するだけでいいのです。人間にとっても同じです。
私たちにとって子どもという存在はいてくれるだけでいいのです。
存在してくれるだけでいいのです。
この子どもという存在には、この文を読んでいるみなさんも入っています。



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