〜金子みすゞさんのまなざし〜(その1)

ミクちゃん(4歳)のぞうり



初めて出会った金子みすゞさんの詩が「大漁」でした。
この詩が、ラジオから流れてきたとき、
私も衝撃を受けました。
今回は「ひろげよう人権」よりお借りしました。(了解済みです)



金子みすゞ記念館館長           矢崎 節夫
    「みんなちがって、みんないい」〜金子みすゞさんのまなざし〜
                          (その1)

☆「私とあなた」から「あなたと私」へ☆    






金子みすゞの「大漁」に出合ったのは、いまから四十年前、大学一年の時に読んだ『日本童謡集』(岩波文庫)の中ででした。
この「大漁」を読んだ時、童謡集に入っている他の87人の三百数十編が一瞬にして消えてしまうほどの衝撃でした。
それまでの自分中心、人間中心のまなざしをひっくり返された、
といっていいでしょう。


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 この時から、私のみすゞ捜しの旅は始まったのです。
そして、16年目に実弟の上山雅輔さんに出合い、手元に大切に保管されていたみすゞの自筆の三冊の手帳に辿りついたのです。
1982(昭和57)年六月のことでした。
2年後に3冊の手帳をもとに、『金子みすゞ全集』(JULA出版局)を出版、
みすゞは1930(昭和5)年3月10日、26才の若さで亡くなってから半世紀ぶりに甦ったのです。


 私はみすゞさんの文学を、
「みすゞさんの宇宙」「みすゞコスモス」と呼んでいます。
みすゞコスモスのまなざしは、「あなたと私」です。


「大漁」に出合うまで、私はずっと「私と鰮」でした。
鰮(いわし)は私に食べられてあたりまえ、というまなざしです。
しかし、「大漁」に出合った時、この自分中心、人間中心のまなざしが、「鰮と私」にひっくり返されたのです。


 みすゞさんのまなざしは、「私とあなた」ではなく、
「あなたと私」です。
では、どうして私ではなく、あなたが先なのでしょう。


 「みなさんは人間です。でもどうして自分が人間だと気づいたのでしょうか。誰かが君は人間だよ、と教えてくれたのでしょうか」


(中略)


「大漁」を読むと、もう一つわかることがあります。
昼と夜のように、光と影のように、この世はすべて二つで一つ、ということです。
浜の喜びと海の悲しみ、喜びと悲しみで一つです。
目に見えるものと見えないもので一つです。
生きることと死ぬことで一つです。
生死一如といいます。
この二つで一つをきちんと具現化できるのはたった一つ、
まず相手の存在を丸ごと認めて受け入れることです。
こだますことです。
ですから、みすゞコスモスの中心星は「大漁」ですが、
彗星のように回っている星は「こだまでしょうか」です。



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