悲しみの極みの中で
郁代との最期の時間が胸に迫ってきます。
八月十日
「ヨーロッパ旅行楽しかったよ。いくちゃん、連れて行ってくれてありがとう」
「ヨーロッパ旅行、楽しかったね。お母さん」
母子の間にもう言葉はいらなかった。
両の手で包めた脚が、日に日に細くなり、片手で握られるまでになっていくのがわかった。
浮腫がみられるようになり、夜となく、昼となくその脚をさすりながら、涙で顔をあげることが出来なかった。さする手が、止まってしまうのだった。
「おかあさん、疲れたのなら休んでいいよ」
そうじゃないんだよ、いくちゃん…。疲れたからじゃないんだよ…。
郁代はずっと側にいてほしかったはずなのに、私は部屋に長くいることができなかった。
郁代と顔を合わせるのがつらくなっていた。
お母さんは忙しそうにしている…。
郁代はきっと不満だったことだろう。
「いくちゃん だいすきだよ」
「おかあさん だいすきだよ」
このころ私と郁代は、子守唄のようにこんな会話を幾度となく交わした。
悲しみの極みの中の、母と子の至福の時間だった。
私がメモしていた幼い頃のいくちゃんのつぶやきが今も残っている。
「おかあちゃん、だいすき!」(一歳)
「いくちゃんの(だけの)おかあちゃん!」(一歳)
ことばが話せるようになったいくちゃんが、私に贈ってくれた最初の言葉を、今度は私が贈りたいと思った。
「いくちゃんだいすき!」
三十四年間、みんなに愛されつづけた郁代は、一歳のいくちゃんに戻り、母の胸に抱かれていた。
「あなたにあえてよかった」より
「み運びのまま」のいのちでした。