『草にすわる』

玄関の白萩 満開です



萩一輪は8月28日でした。
 



        

        『草にすわる』
                     八木重吉
         
        
        わたしのまちがいだった
        

        わたしの  まちがいだった


        こうして 草にすわれば  それがわかる




郁代の声に聞こえてきて、涙が出てきます。


八木重吉は、1898年生まれ。
結核を患い29歳で亡くなられました。



お寺の法話で、とても心に沁みるお話をされたM師から、
よくお聞きしました。




『草にすわる』に出会うと、



歎異抄第一条」     

     
     弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
     往生をばとぐるなりと信じて
     念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき、
     すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり


が、浮かんでくるのです。


M師が、繰り返しお話しくださったのが「歎異抄第一条」でしたので、
この章だけは、私の耳元に残っているのです。



全休さんの「歎異抄第一条」には、


・・・・・     
信体験によって得られる「摂取不捨の利益」の中味はなにかというと、
仏がわたしを想う憶念の心がわたしの心を離れなくなることをいいます。
仏の心と心が通じあうことを感応道応(かんのうどうこう)といいますが、
仏とのコミュニケーションが初めて可能になるのです。
このことを難しい言葉で〈仏仏相念〉といいます。
・・・・・


とあり、有り難く思いました。


近隣のお寺に、
曽我量深師直筆の〈仏仏相念〉のお軸が掛かっていて、
どのような意味だろうかと思っていたのです。


次の詩も、今は亡きM師がよく親しんでいらっしゃいました。



        『心よ』
                     八木重吉
        
        
        こころよ。
        では  いっておいで
        しかし
        また もどっておいでね
        やっぱり
        ここが いいのだに
        こころよ
        では 行っておいで