「魂にふれる」2

知らぬ間に 蕾ふくらみ輝いている


「魂にふれる」で、若松英輔氏は
   ・・・薄い、破れそうな紙にさわるように、彼女の体に手をおき、
      なでることができる残された場所をさがしていた・・・
と書かれていて胸が痛くなりました。
この頃郁代の腹水はもっと多く、
ちょっとでも触ったらすぐにでも破裂する風船のようであり、
私は足をさすることしかできませんでした。
どんなに抱きしめたかったことでしょう・・・。


身体にはタオルケットがかけられていて、
郁代が語りかける口調がとてもしっかりしていたので、
訪れる友人も、家族のだれも、
その下に隠された腹水の苛酷な実情を知りませんでした。


その時、私は郁代の魂を抱きしめていたのでした。


「あなたにあえてよかった」では、
七月二十二日に続いて、病状が次第に進んで行く様子が書かれています。


・・・・・
八月八日 
「おとうさん、おかあさんの子どもに生まれて、しあわせだったよ」
「おとうさん、おかあさんの子どもに生まれてくれて、ありがとう」
郁代の発する言葉のひとつ一つが、私には重く感じられた。
私は、なにも言えなかった。


「痛み止めの回数が増えてくると、副作用で人格が変わることがあるんだよ。
そうなっても薬のせいだからごめんね」
と郁代は言っていた。
 そうなるかもしれない前に、お別れのお礼のあいさつをしているのだと思った。
「すべてに感謝します。すべてのこと、すべての人を許します」
という郁代の気持ちが伝わってきた。


この日も、シドニーから友人が来てくださった。
近くの友人には茶菓を、
県外、海外からの友人には昼食の接待を郁代は私に頼んだ。
水も飲めない郁代の前に食事を用意するのは、たまらなく辛いことだったが、
それは郁代のたった一つの願い事なのだった。
友人にしても、郁代の前では辛くてどうしても食べられなかったらしく、
この日ピラフを少し残された。
郁代は、
「おかあさんが作る物は、量が多すぎるから…」
と言って、友人をかばった。


「身動きできない郁ちゃんは凛としていて、
励まそうと訪れた私を逆に気遣っていた。
私は自分の無力さにうちのめされた」
この日訪れた友人は、こんなメールをあとで私に送ってくれた。
・・・・・


最初に書いた自費出版本『あなたにあえてよかった』には、
友人や知人60人からの、郁代への手紙が載っているのですが、
親友のヒロミさんは「大事な友達」と題してこの日のことを書かれています。


・・・・・       
郁代ちゃんが亡くなって七ヶ月がたちました。
亡くなったと聞いた時、私は彼女のその短すぎた人生、
そして彼女がしたくてできなかった事に対する彼女の無念さ、
少しの希望とたくさんの失望を味わったであろう闘病生活を思い、
涙しました。


私が彼女より二つ年上のせいもあったでしょうが、
私と彼女はとてもいい友人同士であると同時に、
姉妹のような関係でもありました。
甘え上手で聞き上手な郁代ちゃん。
私達は何度も何度も会い、そして時を忘れて語り合ったものでした。


郁代ちゃんの突然のがんの発病、そして再発のニュース。
お姉さんぶっていた私を呆然とさせ、
そして又私自身の無力さを思い知らされる事件でした。
長年住んだシドニーを離れ、実家金沢での郁代ちゃんの闘病生活が始まりました。それは私にとっても、彼女の姿を見ずに、
電話とメールだけのやり取りに頼る日々の始まりでもありました。


「もうダメみたいだよ」
とある日電話で言われるまで私は、
彼女の病状をはっきり把握していませんでした。
私は郁代ちゃんに会うため、シドニーから大阪へ向かう飛行機の中にいました。
それが彼女に会う最後の機会になるであろう事はわかっていました。


「もう歩く事もできなくなったよ」
訪ねた私をみて郁代ちゃんは言いました。
八月八日のことでした。
痩せてしまったその姿に私は大きな衝撃を受けました。
隣の保育園からにぎやかな子供の声が聞こえます。
「いい部屋だね」
「うん。うるさいくらいでしょ?でも気が紛れるんだよ」
彼女が言いました。
「この部屋だけが今の私の世界の全てだよ」


自分の姿を見てきっとショックを受けているだろう、
と賢い彼女は気づいているようでした。
あれこれ私に気遣います。
こんな姿になってなお、人に気遣うのか―。
いや気遣う事ができるのか、
と私はその彼女の強さと優しさに感動しました。
自分の体の自由さえきかない彼女が最後にみせた「生」への挑戦。


それは人を気遣うやさしさを失わないこと、
そして人の幸せを願う事でした。
私は自分がその立場になればとても出来そうもない事を実行している彼女に驚き、又尊敬の念を持ちました。
どうしてこんなすごい女性を「妹分」などと私は今まで思っていたのでしょうか。完敗です。


私が部屋を出る時、彼女は最後の最後、
ドアが閉まるまで私の顔を強い目で見続けていました。
それはまるで私にだけではなく、
今までの私達の友情と、
楽しくすごした時間の全てに別れを告げているようでした。
私はその「別れ」をとても正面から受ける事が出来ず、
「また来るよ」とつい言ってしまいました。
彼女はにっこり微笑み、「無理しないで」と言いました。


その六日後、郁代ちゃんは亡くなりました。

その後しばらくしてシドニーに戻った私は、
自分が胃潰瘍になっている事を知りました。
原因はストレス。
彼女を失った衝撃は心だけでは持ちこたえる事が出来ず、
体にも現れたようでした。
たかが胃潰瘍の、しかしその不愉快な痛みにしばらく悩まされながら、
私はまた郁代ちゃんがどれ程の痛みを乗り越えたかを思いました。
私はその痛みをこらえながら、
「郁代ちゃん、よく耐えたねえ」
と何度もつぶやきました。
・・・・・


私にできることは何もありませんでした。
郁代は仏さまの命を生きていました。