「魂にふれる」1

「魂にふれる」若松英輔・著)



「私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる」


「死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。
私たちが見失ったときでさえ、それを見つめ続けている。
悲しみは死者が近づく合図なのだ」


震災で亡くなった方たちを思うことがテーマですが、
書名にもなった「魂にふれる」の一篇では、
2年前に最愛の妻を喪った若松英輔氏が彼女の死と向き合った壮絶な体験が語られています。
あまりにも郁代の状況そのまま、
私には辛くてどうしても書けなかったことを、代わって書いてくださったようにさえ思えたのでした。


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亡くなる二ケ月ほど前のことだった。
がんは進行し、腹水だけでなく、胸水もたまりはじめていた。
数キロにおよぶ腹水は、身体を強く圧迫し、胸水は呼吸を困難にする。
がん細胞は通常細胞から栄養を奪いながら成長する。
彼女の体はやせ細り、骨格が露出し、マッサージをすることすらできなくなっていた。
薄い、破れそうな紙にさわるように、彼女の体に手をおき、
なでることができる残された場所をさがしていたとき、何かにふれた。
まるい何かであるように感じられた。
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そのときの経験を著者はのちに、こう記しています。
〈魂にふれたことがある。錯覚だったのかもしれない。
だが、そう思えないのは、ふれた私だけでなく、ふれられた相手もまた、何かを感じていたことがはっきりと分かったからである〉


〈死者はずっと、あなたを思っている。
あなたが良き人間だからではなく、ただ、あなたを思っている。
私たちが彼らを忘れていたとしても、彼らは私たちを忘れない。
死者は随伴者である。
……死者は、生者が死者のために生きることを望むのではなく、
死者の力を用いてくれることを願っている〉


私が娘のことを書いた「あなたにあえてよかった」では、
これだけを書くのがやっとでした。


・・・・・
七月二十二日
腹水がひどくて、夜も眠れなくなっていた。
郁代の友達は、金沢はもちろん、
県外、海外からもこれまで以上に訪ねてくれた。
毎日でも受けてほしい点滴の時間は、面会の時間に充てられた。
水分摂取が腹水を増やすのでは?との不安が拭えないらしかった。
「おかあさんが喜ぶなら」と、しぶしぶ予約しても、
直前にキャンセルする日々。


「水分点滴を、なんとか説得してください」と必死になって頼む私に、
「すべてをわかった上での本人の選択ですから。
お母さんも、医師も、郁代さんの〝生き方〟を変えることは出来ないのですよ。
私もお母さん以上に、点滴の必要性をわかっているのですよ」
公立病院で、永年がん医療に携わってきたN医師が言った。
「死に逝くいのちは、お母さんのものでも、医師である私のものでもなく、
郁代さんのものですよ」
と、言おうとしていることがわかった。


大切な残り時間を、ひとり安静にして「病」と向き合っていることは、
郁代にとっては「生きている」とはいえなかったのだろう。
「これまでの私の人生が楽しかったのは、あなたのおかげなのよ」
と友人・知人に感謝の気持ちを伝えることが郁代にとって「本当に生きること」だったのだ。
そのことに気づくまでが、私にとっては辛い、辛い時間だった。
夜、痛みと辛さで眠れないのを知っていたから、
昼間も休息の時間を削る郁代を、見ていられなかったのだ。
最期の時まで郁代らしく生きることを、しっかり支えよう。
この日、私の心は決まった。
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その頃、私は郁代の魂にふれていたのではなかったか・・・
と思われてなりません。