「あなたがいた人生は幸せ」

2年前、このような記事がありました。

『分かち合う悲しみ』
宮城県名取市役所内の安否確認の掲示板にある
名取市職員  西城卓哉さんのメッセージ

          朝日新聞 2011年4月16日


昨日の東日本大震災の追悼式で、この時の西城卓哉さん(32)が、
宮城県遺族代表のことば」を読み上げました。


「それでも、ひとつだけ確かなことは、
あなたがいた私の人生は、幸せだったということです」


私も、テレビで聞いていたのですが、
それは亡くなった妻、由里子さん(当時27歳)からのメッセージにも聞こえ、
胸がいっぱいになり涙があふれました。
若い二人の無念さが、郁代に重なります。         合掌


『あなたがいた人生は幸せ』     朝日新聞2013年3月11日(月)18:53
 
 
 
 

 つらい日々がありました。
 大切な家族を亡くした私たちにとって、この2年という歳月は、一日一日を生きることがこんなにも大変なことだったのかと、
過ぎ行く時間の重さを感じ続けた2年でした。

 ――自分は何のために生きているのだろう。

 ――あの人の生きた日々は、幸せだったろうか。

 何度も同じ疑問が浮かんでは、そのたびに息が詰まり、
答えを出せずにいました。

 それでも、ひとつだけ確かなことは、
あなたがいた私の人生は、幸せだったということです。

 どこにいても、何をするときでも、妻の由里子と息子の直人への想(おも)いは、片時も離れることはありませんでした。

 毎日早起きしてお弁当を用意してくれたり、息子の離乳食をひとつひとつ丁寧に作ってくれたり、そんな妻に喜んでもらいたくて、休みの日に少しだけ早起きして、お掃除をしたこともありました。

 取り合うように家事をやっていたことが、懐かしく思い出されます。

 毎日、笑顔と「ありがとう」の言葉がたえることはありませんでした。

 毎日が幸せでした。

 この悲しみに区切りはなく、終わりもありませんが、弱くて未熟な自分が今こうしていられるのも、あの日から今日までに関わったすべての方々に支えてもらったからこそだと、心から思います。

 妻の由里子はいつまでも尊敬する人であり、私の一番の目標です。

 直人と一緒に、きっといつまでも見ていてくれると思います。

 自分に残されたこれからの年月をかけて、愛する2人の人生の続きを、私が歩んでいこうと思います。

 あの日とともに深く心に刻まれた多くの尊い命を、私は決して忘れません。

 亡くなられた方々の安息をひたすら祈念し、追悼のことばといたします。