『ずっと伝えたかった』 〜6・絆〜

かっこちゃんが取材を受けた北日本新聞のウエブページ
『ずっと伝えたかった/2013年3月17日〜24日掲載』からです。
■回復 奇跡じゃない


 「97、98、99…100!」
 今月21日、金沢市内の病院の一室を訪ねると、明るい声が響いていた。
この病院に入院する宮田俊也さん(46)=同市=が、ベッドに座って脚のリハビリをしていた。足元には自転車のペダルのような器具。
一日に100回こぐのが目標だ。
「宮ぷー頑張ったね」。
見守っていた山元加津子さん(55)=石川県小松市=が声を掛けると、
宮田さんはにっこりと笑った。


 この4年間、毎日1時間のリハビリに二人三脚で取り組んできた。
 宮田さんと山元さんはかつて、金沢市の特別支援学校で同じクラスの担任をしていた。
子どもたちからは「宮ぷー」「かっこちゃん」と呼ばれていた。
熱血漢で世話好きだった宮田さんが、脳幹出血で突然倒れたのは2009年2月のことだった。
 出血は広範囲に及び、脳は大きなダメージを受けた。
瞳孔は開きっぱなしで、自発呼吸もなし。
「命は助かっても、意識は戻らないでしょう」。
集中治療室で付き添っていた山元さんと宮田さんの妹に医師が伝えた。


 父を亡くし、母は入院中だった宮田さん。
妹も出産直後で、毎日の世話は難しかった。
「私がいるから大丈夫」。
山元さんは、職場でもプライベートでも相談相手だった宮田さんを今度は自分が支えようと心に決めた。


 仕事が終わると毎日病院に足を運び、午後8時までの面会時間内にさまざまなリハビリを実践した。
上半身を揺らしたり、脇を抱えて立たせたり。
「宮ぷー、生きて」。
やみくもではなかった。
長く障害児教育に携わってきた山元さんは、
脳を刺激することで障害が改善したケースを何度も目の当たりにしていた。


 宮田さんに変化が現れたのは4カ月後のこと。
声に反応するように、眼球を上下に動かした。
山元さんは、ひらがなを書いた紙を代わる代わる見せて「言いたいのは上? 下?」と問い掛けた。
 〈か こ〉
 数分かけて宮田さんが選んだのは山元さんの愛称だった。
「そうだよ、かっこだよ」。
宮田さんに寄り添い、声を上げて泣いた。


 宮田さんはその後も、驚くべき回復を見せた。倒れてから半年後には、首と右手が動くようになった。
 「はい」と「いいえ」を伝えられるようになっただけでなく、
スイッチを使って50音表から文字を選ぶ「レッツ・チャット」という福祉機器で文章を書けるようになった。
 〈まいにちごめんね きてくれてうれしい〉
 〈なおりたい なおってやる〉
宮田さんのリハビリへの意欲は日に日に高まった。


 病院のスタッフは「奇跡だ」と言った。
でも、山元さんは心の中でこうつぶやいた。
「違うよ。宮ぷーが頑張ってきたからだよ」


 ペダルをこぐリハビリを終えると、
山元さんは宮田さんを抱えて車いすに載せた。
宮田さんは動かせる右手を使って、病室のドアから窓際までゆっくりと進む。
途中で止まっても、山元さんは決して手を貸さない。
 窓際に到着したところでリハビリは終了。
ベッドに戻って一息ついた宮田さんは、レッツ・チャットを使ってみせた。
 〈がんばるすがた みてください〉
 「それなら、いい顔しなさい」。
山元さんの言葉はいつも厳しく、優しい。
 カメラを向けた宮田さんはこの日一番の笑顔を見せた。
続きは、最終回
7.願いをご覧ください。


6.絆
5.希望
4.発見
3・出会い
2.挑戦
1.発症
ぼくの言葉、届いた 高岡・重度意識障害の中島さん


柴田保之先生「手を添えれば字が書けること」