自然法爾

石川県西田幾多郎記念哲学館 掲示してある西田幾多郎の言葉

    
  「私の生涯は極めて簡単なものであった。
   その前半は黒板を前にして坐した、
   その後半は黒板を後にして立った。
   黒板に向かって一回転をなしたと云へば、
   それで私の伝記は尽きるのである」


丘の上の哲学館


昨日の午後、妹の運転で
 『 山折哲雄講演会(鈴木大拙館連携事業)』に出かけました。   
      講師 山折哲雄宗教学者
      演題 日本の宗教性‐幾多郎・大拙・賢治‐
〈講演から〉
・・・・・
最晩年の西田幾多郎は、
個物と一般者の関係を、融通無礙に動かすようになり、
「一即多」とか「多即一」を成立させている世界の見方は
「絶対矛盾的自己同一なんだ」と断じた。


すでに親鸞は「悪人こそが往生する」と言った。
これは親鸞における「逆対応」である。
その論理を超える論理には「絶対矛盾的自己同一」がある。
私は、若いころは親鸞の『教行信証』が大切だと力説してきたが、
最近では『歎異抄』に惹かれる。
これまでは、「唯円や、そこに居合わせる人々と親鸞との語りあい」
という“場”が抜けていたと気がついた。


「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとへに親鸞一人がためなりけり」    『歎異抄
親鸞一人がためなりけり」が身にしみる。
親鸞は晩年、『和讃』に心血を注いだ。


西田幾多郎の生涯の友人は金沢で一緒に学んだ鈴木大拙である。
鈴木大拙は東洋の文化や禅の仏教をわかりやすい英文で書き、
日本文化の啓蒙という仕事にもとりくんだ思想家だった。
それらの作品は今日なお、海外で高く評価され、
日本文化や社会に関心をもつ人々の基本的なテキストになっているのである。
鈴木大拙が晩年たどりついた「自然法爾(じねんほうに)」。
浅原才市などを「妙好人」でとりあげている。


私は母の故郷である岩手県花巻市疎開しましたが、
母は、家が近所だった宮澤賢治に会っています。
宮澤賢治の有名な言葉に、
「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」がある。
風の又三郎』では、はじめに風が吹く。
終わりは風の又三郎になって去っていく。
どの作品も、はじめと終わりに風がふいている。
宇宙とつながって、あの世の人と交信しているかのようだ。
妹、としこへの深い愛は、「永訣の朝」によくあらわれている。
・・・・・
山折哲雄さんの現在の心境とは、
良寛
   「散るさくら 残るさくらも 散るさくら」
   「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」
だそうです。


帰宅後、
鈴木大拙妙好人』(法藏館)に、改めて出会わせていただきました。
☆ 浅原才市の次の偈に、大拙は還相廻向を観ます。
  よろこびを、まかせるひとわ、なむの二じ。
  われが、よろこびや、なむがをる。
  才市やどんとこ、はたらくばかり。
  いまわ、あなたに、くをとられ、
  はたらくみこそ、なむあみだぶつ。
  らくもこれ、よろこびもこれ、さとるもこれ。
  らくらくと、らくこそらくで、
  うきよをすごすよ。


☆ 森ヒナさんとの出会い
  鈴木大拙が北陸のこのお婆ちゃんに是非会いたいといって、
  出会いが成立しました。
  ヒナさん
  『わが機、ながめりや、あいそもつきる、
  わがみながらも、いやになる。ああ、はづかしや、なむあみだぶつ』                『いやになるやうな、ざまたれ、ばばに、
   ついてはなれぬ、おやござる。ああ、ありがたい、なむあみだぶつ』
  自分では文字が書けぬので、我が子に書いて貰っています。
  ヒナさんは、いやになるよな煩悩だらけのザマタレ婆であると歌っていますが、その歌を取り上げて、
  大拙
  「わが身ながらもいやになると書いてあるが、
これあんたの煩悩やろ。この煩悩、半分わしに分けてくれんか?」
  ヒナさん
  「いや、あげられん」
  大拙
  「なんでや?あいそもつきるような煩悩なら分けてくれんか?」
  ヒナさん
  「いや、これは分けられん」
  押し問答の末、ヒナさん
  「この煩悩あればこそ、
   この煩悩照らされて(如来さんというはたらきに)であえたんや」
  大拙
  「そうやったな、
  儂もおばあちゃんの二倍も三倍も煩悩もっとるさかい、
  お互い、この煩悩大切に生きていこうな」


☆ 宮沢賢治 
「永訣の朝」を読み返しました。
  
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる


ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・・


*〈あめゆじゅとてちてけんじゃ〉
まもなく消える妹の命。
外は、霙(みぞれ)が降っているので変に明るい。
妹が、熱で渇いた喉を潤そうとして、兄の賢治に「霙を取ってきて」と頼みます。