『ずっと伝えたかった』 〜 3.出会い〜

かっこちゃんが取材を受けた北日本新聞のウエブページ
『ずっと伝えたかった/2013年3月17日〜24日掲載』からです。
6.絆
7.願い
に、かっこちゃんと宮プーが登場します。


3.出会い
■どうして わかるの?
    〈ぼくは いしきがあります 
     わかっているのに わからないとおもわれてきた 
     これからは たくさんはなさなければなりません〉



中島基樹さんがことし1月以降につづった文章


 波打つフェルトペンの筆跡から、強い意志が伝わってくる。
遷延性(せんえんせい)意識障害の中島基樹さん(31)=高岡市木津=が
先月、自らの手でつづった文章だ。
20歳の時に心臓発作で倒れ、声や体の動きを奪われた彼が、
再び意思表示の方法を手に入れたのはことし1月のこと。
ある出会いがきっかけだった。


 昨年10月、中島さんの母の依子さん(62)は、一つの新聞記事に目を奪われた。
わずかな筋肉の動きを拾う特殊な器具を使うことで、文章を書けるようになった重度障害児を紹介していた。
「もしかしたら基樹も…」。
この手法を考案した国学院大の柴田保之教授(障害児教育学)に連絡し、
自宅に招いた。


  約束の1月6日。
教授は早速、器具とそれをつなぐパソコンを取り出した。
画面には50音が表示され、自動的に動くカーソルが示す文字の音声が流れる。思い描いた文字に反応する体の動きで、文字を選ぶ仕組みだ。

 
 教授が中島さんの利き手の左手に器具を当てると、
文字は次々と選ばれていった。


   〈なかしまもとき どうしてわかるのですか 
   ちいさいちからでつたわるのでうそみたいです〉


 そばで見ていた両親は半信半疑だった。
教授が文字を選んでいるようにも見えたからだ。
「手は間違いなく動いてますよ」。
教授は両親に筆談を試すよう勧めた。


 父の利明さん(64)は言われるまま、中島さんの左手にペンを固定し、
自らの手を添えた。
「今、何歳?」と問い掛けると、わずかに手を押す力を感じた。
「☆」(☆=31を180度回転)。
その力に任せて書いた線は一見、意味を成してないように見えた。
しかし、左右を反転すると「31」になることに気付いた。
左利きの中島さんの幼い頃の癖だった。


 「本当に基樹だ!」。
両親は我が子がしっかりと言葉を理解していると確信した。
二人で中島さんを抱き寄せ、泣いた。
「分かってやれなくてごめんね」


 両親は中島さんの左手を毎日握った。
わずかな力を読み取ることは難しかったが、
つづられる文章は少しずつ長くなっていった。
中島さんも精いっぱい気持ちを表現した。


   〈あきらめないでと みんなにつたえたい〉


 同じ境遇に置かれた障害のある人たちへのエールだった。
そして、自らもリハビリに意欲を燃やした。


   〈はやくたべられるようになりたい あるけるようになりたい〉


 一方で、気持ちを伝えることができなかった11年間の孤独も振り返った。


   〈いぬになりたかった いぬだったら わんわんとほえられたから〉

 
 2月中旬、高校時代からの友人3人が訪ねてきた。
中島さんが倒れてからも、
頻繁(ひんぱん)に会いに来てくれているメンバーだ。


   〈ほっかいどうつあー たのしかった〉


 中島さんが切り出した。
倒れる半年前、このメンバーで北海道を旅行した思い出だった。
一緒に温泉やカラオケに行ったこと、結婚した同級生のこと…。
友人たちは交代で中島さんの手を取り“会話”に花を咲かせた。

 
 みんなが帰った後、中島さんが依子さんに伝えた。

 
   〈にんげんって たのしい〉


5.希望
4.発見
3・出会い
2.挑戦
1.発症
ぼくの言葉、届いた 高岡・重度意識障害の中島さん


柴田保之先生「手を添えれば字が書けること」