『樫の木坂四姉妹』

「わたし達の毎日からは 一度も八月九日が消えたことがなかとよ」



妹が世話をしてくれる金沢市民劇場、
4月例会が昨日、金沢市文化ホールでありました。
劇団俳優座公演 『樫の木坂四姉妹』でした。


長崎での被爆を縦糸に、三姉妹の人間関係を横糸にして、
一つの重厚な織物が織られていきます。
舞台は2000年、三姉妹は70歳前後の年齢です。
狭い家で暮らす三姉妹の葛藤から、三姉妹の壮絶な過去が、炙り出されて。
たくさんの物事が原爆投下・戦争によって奪われた、
その多様な側面の一つ一つに光を当ててくれます。
悲惨な物語でありながら、
同時に、人間とは本当に信頼に足るすばらしいものだと教えてくれます。 


〈あらすじ〉
 長崎港を一望する古い石畳の坂道を、土地の人々は樫の木坂と呼んでいる。
樹齢数百年を越える樫の老木が葉群れを広げる葦葉家は山の斜面を切り拓いただらだら坂の中腹にあり、被爆者である老三姉妹の生活を撮り続けているカメラマンの州崎が通っていた。
 2000年、長崎が夏を迎えようとしていたある日、州崎は部屋のピアノについて尋ねる。
それは四女のゆめが双子の姉の供養のために買ったものだった。
 …今から55 年前、両親と兄、四姉妹の7人家族のあたたかく穏やかな日々がいつまでも続くように思われていたあの頃……。
戦争、特攻による兄の死、姉(妹)の死、被爆…。
「わたし達の毎日には一度だって8月9日が消えたことがなかった」・・・
戦争が終わっても残された三姉妹は常に忌まわしい過去と被爆の現実に向き合わされていた。


〈みどころ〉 
舞台は、二幕ともこの大きな樫の木を背にした葦葉家の居間の場面一つである。その家の家具や出演者の年齢こそ変わっていくが、
一つの舞台設定で、1945年と2000年がみごとにつながっていく。
登場人物も姉妹を演じる長女( 青山眉子) と次女( 岩崎加根子) 四女( 川口敦子) それとカメラマンの四人で語られ続けていく。
 少女のころに長崎で被爆し、ともに七十歳近くなっている三姉妹が、
今も実家のこの樫の木の前の家で暮らしている。
「わすれじの会」のかたりべをしている長女も、
奔放に人生を送ってきたであろう次女にも語りつくせないほどの思いがある。
家を守っている四女にも・・・。
姉妹だからこその言い合いや思い込みや行き違いも三人のみごとな語り合いで綴られていく。
 多くの被爆者がそのことに意識的に背を向けて生きてきている。
しかし、わたしたちは、その沈黙の意味を同じ人類としても知らなければならないと思う。
二幕の中盤、次女ひかるが自分が隠し続けてきたつらい過去を吐露する場面は圧巻である。
車いすにすわったままで、ひかるを演じ切る岩崎加根子の名演技には、
涙が止まらなくなることだろう。
亡くなったひかるのノートを読むカメラマンの洲崎の言葉が心に突き刺さる。
被爆者の数、数十万人というが、名前のない被爆者は一人もいない。」
                                      

〈主なキャスト〉           
葦葉しを(長女)   青山 眉子
葦葉ひかる(次女)  岩崎加根子
葦葉ゆめ(四女)   川口 敦子
洲崎(カメラマン)  武正 忠明
〈スタッフ〉
作          堀江 安夫
演 出        袋   正


遠い昔のこととして教科書で学ぶヒロシマナガサキ
3・11を経験した私たちは、
数万の死者が出、何十万の避難の暮らしを余儀なくされている人々のこと、
そして、放射能の被害に不安を抱いて暮らしているフクシマの方々のことを考えないわけにはいきません。


三姉妹で語られる物語・・・
今のわたしも、同じ70歳前後の三姉妹でよく会っておしゃべりします。
劇と同じ戦中、戦後の同時代を生きてきました。
八月九日、私は5歳で疎開先にいました。


一言、ひとこと、
セリフが胸に響いてきました。
静かで深い感動が残りました。


「わたし達の毎日には 一度も3月11日が消えたことがありません」
の言葉が、どこからか聞こえてきました。