かっこちゃんという人


“泣き虫で弱虫”なかっこちゃん(山元加津子さん)が
“時には強くなってしまう”自分を語っています。
かっこちゃんのメルマガ
第1386号宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと (2013年5月23日)からの抜粋です。


私は自分のことをぼんやりと考えていました。
私は、怖いことや痛いことや、そして悲しいことが苦手です。
もちろんそんなこと を得意だという人なんて誰もいないと思うのですが、
私は人一倍、そういうことが苦手なような気がします。

 
小さいときからそうでした。
保育園のときに、誰かが転んで足から血を流しているのを見ると、
かならずというほど泣き出して動けなくなりました。
胸の奥の方が本当に痛くて、締め付けられるような気がしました。
手も足も体中がぞわぞわと不安になり震えました。
それで手を怪我した友達を見ると、
自分で自分の親指を そっとかんでいました。
そうすると痛さがまぎれるような気がしたのです。
不思議なことに自分が痛いのはガマンができるのに、
他の人の包帯や怪我をしたときの話は、
どうしてもガマンができずに目や耳をそらしてしまうのです。

あるとき、友だちの怪我をして血を流している指を思わずくわえてしまったことがありました。
今から考えるとその通りなのですが、保育園の先生に
「そんな汚いことをしてはだめ。指にばい菌が入ってしまう」
と叱られました。泣いていると、
「けがをしたのはあなたではないから、泣かなくていいの」
と先生が言いました。
泣いている私を慰めてくれた言葉だったのに、
私は自分のことを恥ずかしいと感じました。
痛い話をどうにもガマンができない自分がなさけなくて、嫌だなといつしか思うようになっていました。
けれども反面、止めることのできないはげしい部分が私の体の中には確かにある
のだと思います。

 
まだ、私が中学生のときでした。
今でもその情景をよく覚えています。
いつも穏やかな先生が顔を真っ赤にして、机を頭の上にかかげていました。
先生はとても怖い顔で、一人の男の子をにらみつけていました。
私は泣きながら、
「やめて、やめて!!していないって言ってる。していないと言っている」
と叫んで先生の腕をつかんでいました。
教室がシーンとなりました。
先生もクラスメートも私のしたことにとても驚いたのです。
 

私はどうも、とてもおとなしい子だったようなのです。
同窓会があると、友だちは
「かっこちゃんってトイレも一人で行けなかったよね」
と言います。
そんなはずはないのですが、友だちはそう感じていたのだと思います。
「バス停で待っているとき、いつもいつも順番からはみ出ていって、
満員バスにずっと最後まで乗れずにいたよね」
私の中ではあまり記憶にない部分です。


そして友だちはときどき、あの日のことを口にします。
「弱虫なはずだったのにね。かっこちゃんってあのときすごかったよね」
その日は集金日だったのです。
一人の集金の袋が机からなくなったのです。
先生がみんなの前で静かに、
「この中に誰か、集金を盗った者がいる」と言いました。
そこからあとのことについてはどんな状況があったのかあまりよく覚えていないのです。
私が覚えているのは、そのあと先生が一人の男の子の胸元をつかみ、
「おまえが盗ったんだ。わかっているんだぞ」
と怒鳴っていたことでした。
男の子は「していない。していないよ。僕じゃない、盗っていない」
と泣きそうに言いました。
そのとき私の心の中に、いったいどんなふうな思いがわき上がったのかはわかり
ません。
気がつけば、弱虫なはずの私は立ち上がって先生の前に立ち、
「していないと言ってる、していないと言っている」
と泣きながら先生の腕をつかんでいました。


大学生になったころ、その男の子から手紙が来ました。
「あのお金は本当は僕が盗ったんだ。でも、信じて。
もうあれから盗っていないんだよ」
そして何年か前に、定年前のその先生に偶然お会いしました。
先生はずっとそのときのことを覚えていたそうで、
「若い自分をよく止めてくれたね」
と笑っていました。
けれど私の心の中で、それは思い出したくない傷として残っていました。
クラスの男の子が、「おまえ、スゲェな」と言いました。
「おまえって、先生に反抗したりするんだ」
と言いました。男の子はどんなふうな気持ちでその言葉を言ったのかはわからないのです。ただ、その言葉は私の心に刺さりました。
弱い自分も、そして、こんなふうに止められない自分も、
どちらも、私は好きになれなかったのです。
そしてそれは自分自身を心から好きになれない大きな理由でもあったような気がします。


私にはときどき、相手が誰であろうと止められないときがあるんだ。
私の中の激しいものがわきあがってきて、そんなときは自分でも知らない間に、争おうとするんだと思いました。
そしてそんな心は大人になった今も、ときどき頭をもたげてきます。
イスラエルの観光バスの中で、ふと思いました。
戦争というものは、譲れないものが心にあるときに戦おうとする気持ちの延長にあるのだろうか。
その思いは私にとって、とても大きな衝撃でした。
養護学校で出会った大ちゃんは、こんな詩を作っています。


    殺されるために生まれてこない 
    殺すためにも生まれてこない
    戦争は大事なことを忘れている


私はどんなことがあってもどんな理由があっても、戦争はあってはいけないのだと思っていました。
その気持ちはたぶん今でも変わりません。
けれど、私には譲れないものがある。
それは私自身であり、私を生かしている部分でもある。
そしてその譲れないもののためなら、争おうとしている私がいます。
今、私は私の中にも確かにある、ヤコブの血のようなものをどう考えたらいいのだろうかととまどっています。

・・・・・
今見たら、まりんかさんがかっこちゃんのことを書いてあったので、
本当にびっくりしました。
《宇宙は今日も私を愛してくれる》より


自分の望んでいることだけが
自分にとって、一番いいことのように
思い込んでいるけれど、
ひょっとしたら
それは最良ではないのかもしれない
目の前の一点のことしか見えず
ただ涙にくれるけれど
ひょっとしたら、与えられたことが
本当は最良なのかもしれない

受けとめていくこと、受けとめていく作業
私はそれをしなくてはならない